人付き合いがどうしても嫌いだった
ここまで読んで、私に対して「外交的で行動力がある」人物像を想像した読者は多いだろう。しかし実際は真逆、生憎にも私は「人付き合いが嫌い」という性格をしている。「苦手」どころではない。「嫌い」だ。
人といると、どうしても相手の顔色を気にして疲れてしまう。
▲大学から見えた神戸の夜景
思えば、入会希望者や外部とのやり取りのときは1つ返信するのに1時間くらいかけては胃を痛めていたし、知らない人がたくさんいると気を遣うので大学の他のサークルの新歓には一切参加しなかった。クイズ研究会の活動後の打ち上げも「バイトあるから」と嘘をついて断りひとり別の道で帰っては即刻横になるなどしていた。
それでもなぜクイズサークルを作りたかったのか。振り返るとわからない。ただ、幼少期からのクイズへの憧憬と、入学時の鬱屈とした気持ちの反動だけが自分を駆り立てていた。
そしてもうひとつ、私を大きく苦しめたものがある。「憧れていたクイズとのギャップ」だ。
活動を始めて見えた憧れとの「ギャップ」
「abc」というクイズ大会をご存知だろうか。学生を対象とした最大級のクイズ大会、個人戦ではあるが野球でいう「甲子園」、陸上でいう「箱根駅伝」並みの偉大な大会だ。クイズの界隈に足を踏み入れた学生は、この大会に類する「競技クイズ」の世界で成果を残すことに大概憧れるようになる。
▲QuizKnockにはabc優勝者のインタビューもある
そのためか、実際のクイズサークルではこれらの大会で使用された問題集を使った「フリバ※2」をすることが多い。少しルールが付く程度で、短文系の問題が延々と続く。正直、「成果を残す」云々の前に「TV番組のクイズ」に憧れた私にとっては、少し無味乾燥なものに感じてしまった。
※2)フリバ(フリーバッティング):特にルールを決めずひたすら出題しては答える「打ちっぱなし」形式。
「強くなりたい」と「楽しんでもらいたい」の狭間で
さらに、私個人としてのレベルではない深刻なギャップを感じていた。似たような問題や形式を使いまわしていては「慣れ」による実力差、つまりボタン占有率の不均衡が生じやすいという問題意識をもつようになった。
きっとサークルに遊びに来た人の大半も、早押しを正解する快感を味わいたいから来てくれているはず。最初に触れるクイズが「競技クイズ」然としたクイズばかりでは不親切、もっと言うと主催として傲慢ではないだろうか。そんなことをお節介にも考えながらボタンに手をかけていた。
▲2019年、学園祭に初出展時の一コマ。ぎこちないピース
「実力主義のクイズ」と「初心者が楽しめるクイズ」。この両立やバランス感覚にひどく苦心した。これは初心者の層が厚い新興クイズサークルでは広くぶち当たる壁らしい。組織は立ち上げることより、続けていくことの方がよほど厳しい。
考えあぐねた結果、会長として出した答えはシンプルだった。