「クイズ競技者」ではなく「クイズ遊び人」
会長として私が出した答え。それは、フレッシュな問題・企画を自分から積極的に打とう、ということ。
例えば「椅子取りゲーム風早押しクイズ」。誰かがボタンを押した瞬間、他の全員もボタンを押さなければならず、最後に押した人か最初に押して誤答した人は脱落するサバイバル形式だ。
他には、当時放送していたドラマ「あなたの番です」(日本テレビ系)にあやかった「交換出題ゲーム」。クイズだけでなく出題者も当てなければならないのだが、もちろん誰かになりすました「嘘」も紛れている……。
▲クイズの企画の一例。後輩に「会長(私)の企画があるから来続けた」と言わしめる
こんな具合で、大小や質の良し悪しは問わず企画を乱発した。いろんな人が活躍できるように。いろんな人が、自身がおもしろいと思うクイズを享受して、そして提案できるように。
「みんな各々の愛するクイズをする」というモットーを口に出さずとも、自分が作るクイズや企画、もとい「作品」を通じて訴えていった。それは巡り巡って、クイズ自治に不可欠な「give and take」の精神を育てることでもあった。
そうして私は「クイズプレイヤー」として尽力していった。「競技者」ではなく「遊び人」の方の“player”である。
▲2020年の新歓。リモートになろうと工夫を凝らす
同時に入会希望者への配慮も欠かさなかった。自分が初心者同然だったからこそ抱いたギャップや不安を少しでも埋められるように、と。
初年度は10人程度だったが、翌年2019年の春には20人程度加入し、そこそこの規模のサークルとして活動を続けていくことができた。
▲これは見学者・入会希望者に配っていた手引き。こういう細やかなホスピタリティは大事
人と一緒にいるだけで疲れてしまうほど、他人の機微に敏感。自分を苦しめていたそんな性格が、サークルの運営や企画の創出で寧ろ真価を発揮するとは皮肉なものである。
クイズに興味があるなら、転がってみるのも悪くない
振り返って、なぜ私のような人間がクイズ研究会を立ち上げ、運営できたのか。その理由はただひとつ、「運が良すぎた」のだ。
そもそも、大学でサークルを設立するハードルはとても低い。神戸大の場合は「3人以上」かつ「他の学部の学生を含む」が条件だった。たったそれだけで、教室を活動場所として借りられることになった。
さらに、その時期は「QuizKnock」のYouTubeチャンネルも登録者数20万人と知名度を上げ始めた頃。おかげで、QuizKnockがきっかけでクイズに興味を持った層も少なくなかった。これがもう一年早かったらまた違っただろう。
これだけでも十分運がいいがこれだけではない。
たまたま、中高時代にクイズサークル所属経験のある2学年上の先輩と知り合い、設立以後クイズサークルのノウハウを身近で教えてくれた。
たまたま、参加した初心者サークルにて、ちょうど他大学でサークルを設立しようと考えている同志と知り合って切磋できた。
たまたま、大学のOBや近隣の社会人サークルの目に止まり、早押しボタンや問題集、他のサークルとの交流の場を提供してくれた。
「たまたま」の連続。とにかく、いろんな人が応援や協力してくれたのだ。「クイズは他人がいないとできない遊び」とはよく言うが、それゆえに互助の精神が醸成されていることをひしひしと感じた。
自分は「運が良すぎた」自負があるものの、昨今では環境が整っていることは間違いない。クイズに興味をもっているが踏み出せないという方がいれば、どのみち転がってみることは悪いことではないとは断言できる。
▲設立から1年。初めての新歓イベント。クイズ未経験のあなたの一歩も応援しています
こうして神戸大学クイズ研究会は生まれた
2020年6月をもって2年あまり務めた会長を退き、以降は活動にはあまり顔を出さなくなった。コロナ禍で活動が制限されていたこともあり、他の人に参加機会を譲るために(というのは建前で、単に疲れたのだ)。
私はクイズサークルにいた2年の間に「99人の壁」で100万を獲得して、当初の目標「アチーブメントを打ち立てる」ことを果たした。その後はQuizKnockに加入して、今も「自分がおもしろいと思うクイズ」を発信したりしている。
私が引退してからも、イズムは後輩に受け継がれた。2022年、神戸大学は設立4年目にして「EQIDEN※3」で7位タイの成績を修めた。
※3)EQIDEN:「abc」と同時開催される大学別団体戦のクイズ大会。
▲設立4年目での大躍進
また、研究会はクイズ作成の案件もありがたいことに毎年受けるようになった。「神戸大学クイズ研究会」として、プレイヤーとしてもクリエイターとしても安定した地位を獲得したのは、ひとえに後輩たちの努力の賜物だろう。
各々が「自分の好きなクイズを肯定し合い、信じてきた」ことの帰結。そんな場の土台を築けたことは誇りに思う。
▲2022年3月撮影。最後列の左から5番目が私
【「99人の壁」グランドスラムの回想録はこちら】
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