宮守駅から10分ほど歩くと、宮守川橋梁が見えてきた。

宮守川橋梁は「めがね橋」の愛称で親しまれ、夜のライトアップでも有名だ。手前には宮沢賢治も乗った岩手軽便鉄道時代の橋脚が残っていて、当時の風景を思わせる。

再び釜石線に戻り、宮守川橋梁を走る列車に乗り終点の釜石駅を目指した。
宮守駅から1時間ほど乗り続けていると、足ケ瀬駅を過ぎたあたりから徐々に周囲は山がちな地形になっていく。
長いトンネルを進んでいくと、山々に囲まれた陸中大橋駅ににたどり着いた。この駅には鉱石を意味する「Minaĵo」という愛称がついていて、近くに位置する釜石鉱山に由来しているそうだ。また、付近にある仙人峠は特に険しく、釜石線のような旅客鉄道が開通していなかった時代には花巻と釜石を移動する際の難所として知られていた。

北三陸を巡る旅をしていた宮沢賢治が叔父の家がある釜石から花巻へ戻る道中、行く手を阻んだ最後の壁がこの仙人峠だった。陸中大橋駅の駅前にはそのときに詠んだ詩が刻まれた石碑が建っている。

今日一日の長旅の苦労を宮沢賢治の北三陸紀行に重ねていると、列車は終点・釜石駅に到着した。

釜石駅の愛称は大洋を意味する「La Oceano」だということで、詩にも登場した釜石湾を一目見ようと向かった。
道中、何やら煙が空高く上がっているところを目にした。調べてみると、近くにある製鉄所から出ているものだそうだ。釜石は日本の近代製鉄業発祥の地でもあり、国内の製鉄業が下火になった現在も鋼材の製造が続いている。

駅から数十分歩き、ようやく釜石湾にたどり着いた。

朝の寒さとは一転して日は高く昇っていて、宮沢賢治が詠んだような暗く厳しい海の様子はどこにも無かった。
一日追い続けた宮沢賢治がいなくなったかのような喪失感をどこかに感じながら釜石駅に向かうと、釜石線の車両がやってきた。

車両の向こうでは製鉄所の煙が上がっていて、まるで蒸気機関車が眼の前に現れたかのように見えた。今日乗っていたのは、紛れもない銀河鉄道だったのだ。

釜石線に乗って川を越え、山を越え、海沿いの釜石にたどり着いた。この旅で体験してきた冬の寒さや険しい山々、そしてそれらと共生する人間の営みは、宮沢賢治が作品に描いてきた自然観を100年の時を超えて呼び覚ましたように思える。
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