連載「伊沢拓司の低倍速プレイリスト」
音楽好きの伊沢拓司が、さまざまな楽曲の「ある一部分」に着目してあれこれ言うエッセイ。倍速視聴が浸透しているいま、あえて“ゆっくり”考察と妄想を広げていきます。
パブロフの犬のように、聴いたら反射で泣いちゃう曲というのがいくつかある。
最初にそういう思いをしたのは、あまりにも王道なのだが中島みゆきの『ファイト!』だった。衝撃の出会いを果たした中学生の自分にも、今でこそ覚えていないが孤独な戦いがあったのだろう。平井堅『ノンフィクション』も、自死した友を思って作られたという経緯があまりに痛切に感じられて、どうにもこらえきれぬものがある。
行き場なき悲しみ、やるせない激情、そういったものに襲われてなお前を向くという姿勢に、私はどうにも弱いようだ。
でも、そういった悲しみの文脈ではなく、圧倒的な救いに対して目頭が熱くなる歌もある。
アナログフィッシュの『No Rain (No Rainbow)』だ。
歌に対してあらかじめ「泣ける」と言うのはだいぶ嫌なのだけれど、この曲はちょっと特別である。
まずはご一聴、そして歌詞をご一読願いたい。何を感じ、どのような歌詞だと捉えるかを、一度自らの耳で確かめて頂きたい。PVも素晴らしいので見てほしい。
とても好きな歌詞で、もう何度も聴いたのだけれど、未だに理解できていない部分があるな、といつも思う。平易だが奥深く、聴くたびにあれこれ考えさせられる内容だ。
だから、今日はただ愚直に、この歌詞の話をしたい。名曲の世界に浸りながら、読むとはなにか、考えるとは何かを突き詰めていきたい。そして、できれば自分以外の人の意見が知りたい。
そのためのきっかけとして、カンタンではない「問い」を用意した。この問いについて考えながら、詩の世界を味わい尽くそう。
テーマは「無償の愛」
アナログフィッシュの歌詞世界は、作詞者が2人おり、その2人がお互いの世界を持っていることもあって非常に多彩だ。
中でも『No Rain (No Rainbow)』は、男女の会話を通して愛について考えさせる、普遍的ながら深みのある詩である。そしてその深みゆえ、テーマを誤読されることも少なくないようだ。
ご一聴頂いたという前提でネタバラシをしてしまうと、この曲のテーマは「無償の愛」である。これは、この曲を語るときによく引き合いに出される
「会話」で進んでいく歌詞の世界
「この幸せの代償に僕は何を支払うんだろう」
アナログフィッシュ『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃)
2番冒頭で行われる「僕」による問いかけが、曲の軸となる。「この」が指すのは、1番で歌われた平和な光景だ。
「何も何一つも支払う必要なんてないのよ」
アナログフィッシュ『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃)
「僕」の問いに「君」はそう答え、理由としてこうつぶやく。
「雨が降った後にかかる虹のようなものよ」
アナログフィッシュ『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃)
いい。とてもいい。
この雨と虹の
こうして誘導された興味の先に、3番での「答え合わせ」(と呼ぶのが適切かはわからないが)が用意されている。作中の「僕」よろしく、「君」が言うことの意味をイマイチ掴めていない人のために、問いに対する
居酒屋のサービスの悪さに怒る僕に対して、「君」はこのように言う。
「ただ好きなだけでこれはサービスではないの
ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」
アナログフィッシュ『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃)
サービスと対価の資本主義的な関係性と、愛のあり方とを切り離して考えるこのメッセージこそが、この曲の肝だ。
良いことは悪いことの対価ではないし、愛はなにかの返礼として与えられるものではない。ただ好きなだけで与える、それこそが愛なのだ、と。
「
そして曲の最後、「僕」の感情が切々と歌われる。
「何かしてあげたい 君に何かしてあげたい 何かしてあげたい 君に何かしてあげたいっておもうよ」
アナログフィッシュ『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃)
一揃いの解釈はこれで十分であろう。ここまで読めば、一般的な見方はおさらいできたと言える。
そのうえで、趣旨を理解するほどに湧き上がる疑問が、この歌詞には含まれているのだ。詳しく見ていこう。
「No Rain No Rainbow」は何を指すのか
「No Rain No Rainbow」という、タイトルにもあるフレーズだ。曲中で「君」のセリフとして何度も登場する。
and she said
“No Rain No Rainbow”
アナログフィッシュ『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃)
予備知識として、「No Rain, No Rainbow」という英語のことわざを踏まえておきたい。「雨なくして虹はなし」、困難の先にいいことがあるよ、という意味だ。
おわかりの通り、このことわざの意図は「無償の愛」とだいぶ異なる。プラスとマイナス、原因と結果といった結びつきを示したものだ。因果のない「無償の愛」とは逆だ。
言いたいことと真逆な「No Rain No Rainbow」というセリフを、無償の愛を説く「君」は口にする。これ、先程まで言っていたことと違うじゃないか。なぜ、このフレーズがチョイスされたんだ? そして、なぜタイトルにまでこの言葉が使われているんだ?
これが、この曲を理解するための「問い」である。
矛盾しているように見える2つの言葉の共存を、どのように読み解いていくか。そこに、この曲へのより深い理解があるだろう。さあ、己の先入観を見つめ直す旅へと飛び込んでいこう。