「でも…」←誰のセリフ?
さて、大きな問題に立ち向かうときのコツは、大きな問題を大きなまま捉えぬことである。すなわち、問いを小さな問題に分解してみると良いのだ。数学の問題が(1)、(2)……と続いていくのはそういうことである。
ここで、「No Rain No Rainbow」というフレーズに、補助線を引いてくれるような問いを考えてみたい。3番のサビに登場する「でも…」についてだ。
「でも…」 she says
“No Rain No Rainbow”
アナログフィッシュ『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃)
「No Rain No Rainbow」は「君」のセリフだろう。「she says」と歌われているし、ひとつ前、2番のサビでは「and she said」となっていたので、現在形になっている3番のサビは回想ではない。いまいる居酒屋の、その空間で放たれたセリフなはずだ。
では、この「でも…」は誰のセリフなのか。
このセリフの主がわかると、「No Rain No Rainbow」についてのヒントが得られる。「でも」は逆説であり、文と文のつながりや関係性を教えてくれるからだ。
セリフの「主」を仮定してみる
難問に取り掛かるなら、いつだって状況整理から始めたい。ここではすなわち、仮定し、条件を分けていくことが求められる。もしこのセリフが「僕」のものであったら、もしくは「君」のものであったら、という仮定を置き、それぞれについて考えてみよう。
i)「でも…」が「僕」のセリフであったなら
この場合、「No Rain No Rainbow」は、「君」が「ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」に続けて言ったセリフ、ということになる。「君」のセリフについてのみ考えると「順接」だ。「No Rain No Rainbow」は「無償の愛」と同じような趣旨だということである。……ことわざの意味を考えると矛盾を感じるが、はたして。
ii)「でも…」が「君」のセリフであったなら
「No Rain No Rainbow」が、逆説の「でも」によってそれまでの内容、すなわち「無償の愛」とつながることになる。そしてこの場合、本当に言いたいことは逆説の後ろ、つまり「No Rain No Rainbow」だ。……この歌詞のテーマとは矛盾するように見える。これはこれでおかしい。テーマが変わってしまうのだから。
「でも…」の先に示されるものは?
さあ、「でも…」の主語は「僕」なのか「君」なのか。どちらにせよ疑問が残ることがわかった。つまり、どちらかの疑問とは、必ず向かい合わなければならない。どちらを選ぶか。
その上で、「でも…」のより妥当な主語は「僕」なのだと、私は思う。やはり、この曲の主張は「No Rain, No Rainbow」の持つ意味とは逆なのだから、「雨なくして虹はなし」が強調されてしまうii)の「『君』のセリフパターン」の解釈は通せない。逆説の後半が際立つよりは、テーマが不変なi)のパターンを支持するべきであろう。
「でも…」の主は「僕」。となると、「でも…」に続くセリフは、残る最後の言葉になる。「君になにかしてあげたい」だ。
「別に見返りなんてなくてもいいわ」「でも、何かしてあげたい」……つなげるなら、こうなるだろうか。「愛は対価を必要としない」ということに対する「でも」なのだから、「愛してくれたから対価を払いたくなる」ということを「僕」は言おうとしているのだ。
余談だが、「でも…」といいつつ、「僕」の気持ちは自然と湧いたものではないだろうか。なにかの対価ではなかったんじゃないだろうか。
本人は愛の対価を払いたいと思っているだろうが、その愛のスタート地点は、「僕」なのか「君」なのか、もうわからなくなっているはずだ。具体的な対価というよりは、もう相手を大切に思う気持ち、すなわち愛ゆえに「君」に何かをしてあげたくなっているのだろう。「でも…」のあとに続く「何かしてあげたい」は、とても純粋な愛情表現なのだ。たぶん。
新たな問いに向き合ってみる
さあ、「でも…」の主語が何かという問題が解決し、新たな問題が浮上した。「No Rain No Rainbow」は、どうして「無償の愛」につながるフレーズたり得るのか、という問いである。これは、メッセージの矛盾を指摘した、当初考えていた問題とも同根であろう。ここで一気に本丸を攻め落としたい。
そして、この問いについて考えられることは、至ってシンプルである。すなわち、「No Rain No Rainbow」という歌詞は「雨なくして虹はなし」という意味ではないのでは? という示唆だ。
ここで注目したいのは、歌詞が「No Rain, No Rainbow」ではなく「No Rain No Rainbow」と表記されていることである。タイトルに至っては『No Rain(No Rainbow)」だ。表記が違う。
「●●なくして○○なし」という意味になる英語のフレーズは「No ●●, No ○○」である。「,」が入るのだ。タワーレコードのキャッチコピー「NO MUSIC, NO LIFE.」を思い出していただきたい。
歌詞のフレーズには、その「,」がないのだ。
となると、これはことわざとは意味の異なるフレーズなのではないだろうか。もちろん、あまり気にされていない可能性はあるけれど。
「No Rain No Rainbow」の真意は
ことわざ通りの意味では矛盾が生じることは確認済みなので、ここは一旦「ことわざとは違うことを意味している」と仮定してみよう。
すると、no+名詞は「ひとつの○○もない」という意味になる。全体を訳すなら「ひとつの雨もない、ひとつの虹もない」だ。もし、この前提に立つのであれば「No Rain No Rainbow」が表すものは、我々が想定していたもの、すなわちことわざの意味とはだいぶ違ってくる。
メッセージは「愛のためには、雨もいらない、虹もいらない」。悪いことがあったからいいことがある、いいことをしてもらったから返す、ということではない。「対価は何もいらない」、こう解釈できるのではないだろうか。これは、まさしく無償の愛だ。
結論を改めて確認しよう。『No Rain (No Rainbow)』は、「無償の愛」を歌った曲であり、そのテーマは、一見そうとは思えない「No Rain No Rainbow」というフレーズにまで透徹している。愛の幸福を得るためには、雨という対価は不要だ。そして、虹がなくとも、なにかしてあげたい、そう思えるのも愛なのだ。
バシッと決まったというよりはだいぶ消去法的な解き方になったが、あり得そうな線をたどっていくとこのような結論になると、私は考えている。
「詩に全力で向き合う」ということ
さて、長い長いトレーニングになったが、読者のみなさんは良い塩梅に汗をかくことが出来ただろうか。
詩の解釈は、正解を急がず、自らじっくりと考えることに意味がある。もちろん正解はないし、正解することが目的ではないのだ。
一方で、詩を書く者が何を考えたか、もしくは考えなかったかという事実は純然と存在するため、書いてあることと矛盾するような解釈は明確な間違いだと言えよう。つまり、詩の理解には正解を目指し思考を重ねる姿勢こそが求められるのであって、そこに努力を惜しんではならないのだ。
こういうふうに、全力で向き合える曲が、おそらくまだまだある。もう出会っている曲の中にも理解が及んでいないものがあるだろうし、大部分はまだ出会えていないのだろう。素晴らしい音楽がある限り、学びと感動は止まらない。おそらくは、私の涙も。
詩について、もっともっと考えたいという意欲的な読者諸君は、ぜひアナログフィッシュの『PHASE』や『うつくしいほし』も聞いてみてほしい。いつかこの連載で取り扱いたいが、いつになるだろうか。
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