連載「伊沢拓司の低倍速プレイリスト」
音楽好きの伊沢拓司が、さまざまな楽曲の「ある一部分」に着目してあれこれ言うエッセイ。倍速視聴が浸透しているいま、あえて“ゆっくり”考察と妄想を広げていきます。
上海に行ったのはもう5年も前だから、だいぶ記憶とは違う街になっているのだろう。
伝統と最新が混ざり合う上海の情景は唯一無二で、その美しさと混沌とを鮮明に覚えている。そしてそれが移ろいゆくものであることも、街の持つ生命力から感じ取れたものだ。
▲上海の街並み
南京でクイズ番組に出演し(杭州から出てきた14歳の少年に完敗したのだが)、帰りがけに立ち寄ったのが上海だった。春だというのに日差しは暑く、黄浦江の照り返しが眩しかった。
屋台の臭豆腐すらスマホ決済。いたるところのテクノロジーが先進的だった。19世紀の欧風建築や伝統的な瓦屋根のなかにそれらが息づいているのだから、つくづくとらえどころのない場所である。長く滞在した南京よりも、半日もいなかった上海のほうが「異界」として強く印象に残った。
「上海」がうたわれるとき
日本とも地理的に近い「異界」ゆえ、ある種のあこがれと奇異の目でもって上海は歌われてきた。ORANGE RANGE『上海ハニー』はシンプルに国際交流的なニュアンスで、井上陽水『なぜか上海』は陽気な別世界として。
個人的には、松本隆作詞の山崎まさよし『昭和モダン』における、人を飲み込む異国のフロンティア像が好きだ。
そんな中で、魅惑的な雰囲気と、その陰陽両面を切り取り一躍「上海ソング」筆頭に躍り出たのが、くるりによる『琥珀色の街、上海蟹の朝』だ。
作詞者・岸田繁がインタビューにて「ノスタルジー」と「幻想」という言葉で説明したように、上海という街をなんだかふんわりと、それでもなお魅力的に、でもちょっと後ろ向きな歌詞で描いた曲である。
「都市的な幻想を抱きやすい」という理由で選択された上海という題材を、オールドスクールヒップホップのようなビートに乗せてラップするという挑戦。前半は暗い内容が続き、一部は「MC漢風のフロー」(岸田談)で街の陰気な部分を歌う箇所さえ登場する。宿ノ斜塔ならぬ滬ノ高楼といったところか。
しかし、後半に至るにつれサウンドも歌詞もきらびやかになり、明るく展開していく。暗さを吹っ切り、目線を上げたということが、上海の具体的な情景をはじめて登場させることで描かれているのだ。
そして。ここで突如として、気になるワードが登場する。
外輪船の汽笛 嶺上開花
本繻子でこころを包むよくるり『琥珀色の街、上海蟹の朝』(作詞:Shigeru Kishida)
外輪船は船の一種で、街を流れる黄浦江を航行するものだろう。汽笛というモチーフは『なぜか上海』にも登場している。本繻子はサテンとも呼ばれる生地で、チャイナドレスをイメージすればわかりやすい。上海観光のお土産品でもある。どちらも「上海らしい」ものだ。
しかし、しかしである。「嶺上開花」。なぜおまえはここにいるのだ。
「嶺上開花」というのは、麻雀の役である。今回は麻雀に関する詳細な言及を避けるが、「あえて狙うほどではないけれど、出たらちょっとラッキーな役」だと思えば良い。文字通り、「嶺の上で花が咲く」、一輪の当たり牌が突如として現れるイメージである。
上海、関係ないのである。
中国でも麻雀はさかんで……というより中国にルーツを持つゲームなのでたしかにイメージとしてはぴったりである。とはいえ、列挙された2つに比べるとやや唐突で、数多ある役の中でなぜこれがチョイスされたのかも謎だ。雀牌を使ったパズルゲーム「上海」にも当然ながら嶺上開花は登場しない(高年齢層向け)。
なぜ、わざわざ嶺上開花なのか。よく考えると不思議なこの言葉、まるっと解いて見せようじゃないか。
なぜ「嶺上開花」なのか
まずは忠実にいこう。麻雀のイメージを広げるのならば、嶺上開花以外の選択肢がたくさんあるじゃないか。中国麻雀には日本より遥かに多くの役が存在するが、今回は日本の役で嶺上開花が最適なのかから考えたい。
有名な役から見ていくと、「天和」「国士無双」「平和」あたりになるが、これらは語呂が良くない。「リンシャンカイホー」という言葉の響きは、ラップという歌唱法を選択している以上意味のあるものだ。
響きが似ている役でいけば「九蓮宝燈」があるだろう。こちらは役満、つまりはめったに出ないもので、あまりにも出ないので「上がると死ぬ」とも言われている。上海の情景を描写するにはいささか御無礼すぎるか。
ほかにも語呂が合いそうな役を探したが、「三色同順」「三色同刻」「河底撈魚」……いずれも地味なやつばかりだ。「嶺上開花」は、口にしてみると意外にも気持ちいい言葉、グッドチョイス。
とはいえ、麻雀用語全体に範囲を広げると、優位性は少し下がる。「タンピン三色」など、役名を組み合わせて呼ぶ方法を用いれば語呂はうまいこといくのだ。そこそこ見かける用語なので、情景描写としても悪くない。
ぐにゃあ。他の選択肢でも成り立つ。だったら、嶺上開花の特別さとはどこにあるのだろうか。