日本最高峰の芸術大学・東京藝大の油絵科に3浪の末首席で入学。しかし卒業後に医大への進学を思い立ち、ふたたび3浪で入学……。
そんなユニークな経歴の持ち主が、小川貴寛(おがわ・たかひろ)さんです。現在は研修医として勤務しながら、医学の知識を活かした創作活動も続けています。

人の「こころ」に魅せられてきたという小川さんの人生をたどりながら、小川さん自身の「こころ」にも迫るインタビューをお届けします。
貴重なお話から見えてきたのは、「天才」「奇才」といった安易なイメージとは異なる誠実さ、そして確かな信念でした。
目次
芸術と医学を結ぶ「こころ」
ーー小川さんは現在研修医をされているわけですが、最初に医学に興味を持たれたきっかけを教えてください。
小川さん 小〜中学生の頃ですね。はじめに興味を持ったのは、医学というより精神医学や心理学の分野でした。「自分と周りの人とで、どうして考えることが違うんだろう」ということが気になったんです。医師を目指したのも、精神科医になりたかったからでした。

小川さん わからないなりに、精神医学の古典といわれるフロイトやユングの本も読んでみたりして。もちろん難しいので、理解しきれない部分もありましたが(笑)。
小川さん それから強く惹かれたのが、「病跡学」という学問でした。「偉人の生涯を心理学的な観点から分析する」というユニークな学問で、晩年に精神的変調をきたしたといわれるゴッホについての研究が有名だったりしますね。
「歴史上の芸術家や天才たちは、実は心の病を抱えていたのではないか」という言説が面白くて。人間関係で嫌なことがあっても、自分も偉人たちと似た悩みを抱えているんじゃないか……と思って、自分のことを慰めていました。今思うと思春期丸出しですが、当時の自分にはとてもしっくりくる分野だったんです。
ーーそんなところから、芸術方面にも興味を持ったんですね。
小川さん そうですね。美術はもともと好きで幼稚園ぐらいから絵を描いていたんですが、それに限らず小説や映画、音楽など幅広く興味を持ち始めました。小学校の中学年からはジブリにハマって、将来はスタジオジブリに就職しようかな、なんて思っていた時期もありましたね。

「選択肢を広げたくて」藝大へ
ーーその後、小川さんは日本最高峰の芸術大学、東京藝術大学を目指すわけですよね。
小川さん 「藝大に行こう」と思った具体的なきっかけは、映画監督の北野武さんが藝大の大学院教授に就任したことでした。高校時代の自分は北野監督の映画に夢中で、「あの人のもとで学びたい」という一心でしたね。
変わらず医学方面への興味もあったんですが、「医学部に進むと、将来のルートが定まってしまいそう」という不安もありました。医学部生になると、いずれは医師国家試験を受けて、どこかの病院に勤めて……という人がほとんどですよね。将来の選択肢を広げておく意味もあって、まずは藝大を志望しました。
ーーその後3浪を経て、藝大のなかでも難関といわれる油画科に首席で合格されたんですよね。受験勉強はどのように対策されたのでしょうか?
小川さん 藝大の受験生はたいてい美術専門の予備校に通うんですが、予備校に通い始めた頃は自分が描きたい絵と、評価される絵とのギャップに苦しみましたね。
当時は20世紀前半の「表現主義」と言われるような、感情をダイレクトに表す作品に影響を受けていたんですが、そういった絵をそのまま受験で通用させるのは難しかったです。

小川さん 3浪の時に思い直して、「受験生らしく、“合格できそうな絵”を描こう」という意識を持ちました。試験の合否を決めるであろう、大学の先生方の個展に行って作風を勉強したこともありました。
なんだか不純に聞こえるかもしれないですが、「用意された課題に対して最適解を考える」という意味では、藝大受験もその他の受験も同じだと思います。
ーー考えを180度変えて、合格につなげたんですね。それでも3浪からいきなり首席合格というのは、やはりすごいことだと思います。
小川さん 浪人期間は2日で1枚油絵を描く生活を続けていて、それだけたくさん描いたこと自体が財産になりました。藝大受験でもしなかったら、そうそうない経験ですよね(笑)。藝大に受かった後も、予備校での紆余曲折の経験が活きていると感じる場面は多々ありました。
首席合格は「まさか」
ーーちなみに、首席合格の時の手応えはいかがでしたか?
小川さん それが、全然なかったんですよ。僕の年は一次試験が「私の風景」というお題で、どこでもいいから1日かけて風景を描きなさい、という課題でした。これは手応え抜群だったので、二次試験も風景の課題が出てほしいな……と期待していたんです。
ところが蓋を開けてみると、「自画像」というまったく違う課題が出てしまって……。もう「絶対に風景を描くぞ」というマインドになってしまっていたので、本当に焦りました。

小川さん それでもとにかく描くしかないですから、2日ある試験のうち、初日は横長の構図で風景をメインに描いて、小さく自分を描き入れてみました。でも、予備校に戻ってからも「“合格できる絵”とズレてるんじゃないか」という不安は大きくなるばかりで……。
ーー試験が2日ある、というのも心臓に悪いですね……。そこからどう挽回したんですか?
小川さん ふと、試験会場の自席の横に、大きな鏡が置いてあったのを思い出しました。そこで、お題が「自画像」で鏡があるということは、「自分の顔を正々堂々描け」という出題者からのメッセージなんじゃないか?と直感したんです。
そうなったら、全く別の路線で描いてしまった1日目の絵はボツにするしかありません。2日目は会場に着くなりキャンバスを縦に置き直して、前日の絵を塗りつぶす形で自画像を描きました。

「1日目の絵では受からない」という感覚に取り憑かれていたので、決死の思いで、5時間で仕上げました(笑)。「首席だ!」なんて思う余裕は全くなく、「完成してよかった」という安堵しかありませんでしたね。
絵を描いていると「途中で軌道修正した作品の方が逆に魅力的に見える」なんてことも結構あるんですが、入試の場でそれが起きるとは、自分でも思ってもみませんでした。