現代のファッションの基礎が誕生
また、現在のようなファッションデザイナーという職や、ファッションショーの形式が誕生したという点でも、パリはファッションの発展にとって重要です。
そのキーパーソンに、「オートクチュールの父」と呼ばれたチャールズ・フレデリック・ワース(フランス語読みでシャルル・フレデリック・ウォルト)がいます。彼は1845年にイギリスからフランスに渡り、いくつかの企業に勤めた後、ドレス職人になります。1858年に自身の店を構えると、ナポレオン3世の皇后ウジェニーを顧客に持つなど、一躍人気職人となりました。
ワースが特に重要な人物である理由は、それまで小規模な職人仕事だった服作りを大規模なクリエイティブ産業へと発展させた点にあります。
それまでのドレス職人は、客の要望に従い服を作る受身な仕事でした。一方ワースは、ビジネスオーナーとして自身のブランドを拡大すると同時に、ドレス職人をファッションデザイナーに、他の芸術家と同じように創造性やセンスを必要とするクリエイティブな職にしたのです。画家が自身の作品にサインをするように、デザイナーも自分の服に名前のタグを付け始めた、というと想像しやすいでしょうか。これがパリの高級仕立服、オートクチュールの始まりです。
19世紀末から20世紀頭にかけて、ワースやポール・ポワレといったデザイナーたちが、製品をパフォーマンスとして披露する可能性を探り始めます。ここで生身のモデルが衣装を着てランウェイを歩くというファッションショーの様式が誕生しました。また1910年には「パリ・オートクチュール組合(La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne)」が設立され、季節に沿って年に2度ショーを行うという、現在まで続くシステムも生まれました。
その後もシャネル、ディオール、サンローランなど、今も残る多くの有名ブランドがパリで誕生します。1950年代にはファッションの主流が仕立服のオートクチュールから既製服のプレタポルテへと移行し、1973年にはオートクチュールとプレタポルテの2部門からなる現在の形式で、第1回パリ・コレクションが行われました。
まとめ:ファッションが多様化しても、パリはやっぱり特別?
一方で、第二次大戦後の若者文化の勃興やインターネットの出現により、パリに一極集中していた世界のファッションの勢力図にも変化が訪れます。
それでもなお人々がパリコレに憧れるのは、なぜでしょう? それは、こうした長い歴史を通して形成された「ファッションの街としてのパリ」というイメージが、今も強い影響力を持っているからではないでしょうか。
ルイ14世の項で「象徴としてのファッション」の考え方をご紹介しましたが、パリという街も同様に、多くの象徴的な意味を含んでいるといえます。ロカモラは、「パリ」とは単にフランスの首都を指す言葉ではなく、ファッションの世界や「シックでエレガント」といったイメージを伴う言葉だと述べています。つまりパリで行われるファッションショーが特別だと考えられるのは、パリがファッションの歴史にとって実際に重要であるのはもちろん、私たちが「ファッションの象徴としてのパリ」に強い憧れを抱いているから、ともいえるのではないでしょうか。
参考文献
- Rocamora, A. (2009) Fashioning the city. London: I. B. Tauris.
- Steele, V. (2017) Paris Fashion: A Cultural History. London: Bloomsbury Visual Arts.
- The Atlantic 'The King of Couture'
- Vogue UK 'A Brief History Of Paris Fashion Week'