シャネルは新しい女性像を体現するアイコンだった
第一次世界大戦後、若い女性たちの社会進出はますます加速します。髪を短く切り、学問をし、職に就き、自由な恋愛やスポーツを楽しむ彼女たちは「ギャルソンヌ(少年のような娘)」と呼ばれ、そんな女性たちがまさにシャネルの支持者でした。
▲ショートボブの髪型に帽子、身体の線が出ない直線的なデザインの服が、ギャルソンヌの定番スタイルでした
シャネルは、自身がデザインしたスポーツ用ドレスについて、「スポーツをする他の女性のために作ったのではなく、スポーツをする自分自身のために作った」との言葉を残しています。
シャネルはファッションを通して当時の女性を解放しただけでなく、彼女自身が時代を代表する「新しい女性」であり、当時の女性たちにとって偉大なアイコンだったのです。
▲シャネル本人もゴルフ、スキー、釣りなど、太陽の下で身体を動かすことを楽しんでいたそう。短く切った髪にカジュアルなファッションが今見てもすごくおしゃれ
ピカソやダリとも交流があったシャネル
さらに、わたしが考えるシャネルの魅力は、彼女を取り巻く環境と、華やかな交友関係です。
幼くして母親を亡くしたシャネルは、孤児院や修道院で育ちました。「ココ」という愛称は、彼女がキャバレーで踊り子をしていた際の芸名に由来しています。修道院で針仕事を身につけた少女が世界的デザイナーになるストーリーは、どんなフィクションにも劣らず興味深いものです。
▲少女ガブリエルがココ・シャネルになるまで。ブランドの世界観も感じられる芸術系な動画は必見です
またシャネルが活躍した頃、パリの社交界にはピカソやダリといった、皆さんもよく知る芸術家たちも出入りしていました。彼らが互いを刺激しあい、切磋琢磨していたことを想像すると、なんだかとてもロマンを感じませんか?
当時のパリのファッション界では、シャネル以外の女性デザイナーたちも活躍していました。シャネルと彼女たちのライバル関係も、一種のエンターテインメントとして、私たちを楽しませてくれます。
中でもシャネルの最大のライバルだったといわれるのが、イタリア生まれのエルザ・スキャパレリです。シュルレアリスム(※)の芸術家たちと親交があったスキャパレリは、彼らから影響を受けた斬新なデザインをいくつも発表しました。孤児院育ちのシャネルと、裕福な家庭出身のスキャパレリ、二人の関係に想像力(野次馬心?)を働かせずにはいられません。
▲スキャパレリがジャン・コクトーとのコラボでデザインしたコート / "Schiaparelli" by thompsoe is licensed under CC BY 2.0
さらにシャネルは第二次大戦中、ナチス・ドイツの軍将校と恋仲にあったとのエピソードもあります。こうした波乱に満ちた彼女の生き様も、時代を超えて人々を魅了し続けているのではないでしょうか。
※シュルレアリスム:超現実主義。1924年にフランスの詩人アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」によって始まった芸術運動。無意識を可視化することを目指し、文学、美術など多くの分野で広まった。
50年経っても褪せることのないシャネルの魅力
ここまで、ファッション好きとしてシャネルの魅力をお話ししてきました。
シャネルは「私は流行を作ってるんじゃない。私が流行なの」との名言を残したとされています。ファッションの世界に変革を起こし、時代の最先端の女性像を体現、数々の逸話も残したシャネルはまさに、彼女自身が「流行」だったのです。
せっかくのメモリアルイヤー、皆さんもシャネルにまつわる作品をチェックして、その魅力に触れてみてはいかがでしょうか?
参考文献
- Chanel 'THE FOUNDER'
- Vogue 『Chanel / シャネル』
- 深井晃子監修(2010)『増補新装[カラー版]世界服飾史』美術出版社