「東大王2016」でクイズ番組初挑戦ながらも初代東大王に輝き、現在も東大王チームを率いる大将として活躍している鶴崎修功。QuizKnockの動画でも表情豊かにスーパープレーを繰り出す姿が印象的ですが、その素顔は東京大学の大学院で博士号取得を目指し、研究する大学院生です。
そんな彼が「これ以上に好きなものがない」と話すのが、やはり研究対象である「数学」です。幼少期から算数にのめり込み、高校時代には同級生と出場した数学コンテストで鳥取県内で1位を獲得。そして大学・大学院に進学し、今に至るまで数学三昧の人生です。
なぜ鶴崎氏はそこまで数学に魅せられたのでしょうか。今回のインタビューでは、全2回にわたって「鶴崎修功と数学」について掘り下げていきます。
目次
◎ 数字が好きすぎて、幼稚園で会議に!?
◎ 「数学無理かもしれん」からの東大へ
◎ なぜそこまで鶴崎氏は数学が好きなのか
◎ 鶴崎氏が考える「最も美しい数式」とは?
幼稚園で心配されるほどの「数字好き」
▲QuizKnockの新オフィスで鶴崎氏に語ってもらった
――鶴崎さんといえば、RSA暗号の動画でも活躍されていたように、数学が専門です。大学院で数学を研究していますが、そもそもいつ頃から数学が好きだったのでしょうか?
鶴崎 そうですね、僕は最初から数学が好きで……。
――さ、最初からというのは……?
鶴崎 物心がついたころからです。2歳とか3歳とかから好きだったんじゃないですかね。
――そんなに早く?
鶴崎 もともとは数字が好きだったんですよ。ナンプレの答えを写すってことを最初やっていて。
▲ナンプレってこれのことですよね。答えを写すって……。
――ナンプレの答えを写す……?
鶴崎 数字を書くのも好きだったんですよ。幼稚園のときに、お絵かき帳に絵を描く遊びがあったんですけど、みんな絵を描いているなか僕はよく数字を書いてたんです。それを見た先生が僕を心配したらしく、先生たちの間で会議になったこともあったみたいですけど。
――えっ!(笑)
鶴崎 僕は単純に数字が好きだっただけなんですけどね(笑)。
▲ただ単に数字が好きだったのに、心配されてしまった人……!
鶴崎 あとは3歳のときくらいから、父親にお風呂で算数を教えてもらっていましたね。くもりガラスとか鏡に数字や式を書いてもらって、母にも色々教えてもらいました。だから数字から算数を知って、2歳とか3歳の頃にはだいぶ算数が好きだったという感じです。
「東京にいたら数学者を目指さなかったかも」
――数学に目覚めるのが早すぎて驚愕しています。ただ、子どもの頃に感じる「好き」から、実際に「研究したい」と思えるには、そんなに簡単なことじゃないですよね。鶴崎さんはその後、どのように研究の道に入ったのでしょうか。
鶴崎 えーっと、たぶん小学校高学年から中学校くらいの時には、数学者という職業があるのを知っていて、数学者になりたいと言ってました。
でも実際に研究しようって決めたのはいつだろう……。
僕が通った高校は鳥取の中では進学校で、東大合格者も多くて、みんなよくできるという噂は聞いてました。だから高校に進学するときも、「自分よりすごくよくできるやつらがたくさんいたら、数学者を目指すのをやめて他のことをしよう」というのは思ったんですよね。これは、大学に進学するときもそうです。
――「圧倒的に上がいる」と感じたらやめようと。
鶴崎 でも、運よくそうはならなかったんですよね。数学が得意な子がめちゃめちゃたくさんいるクラスにいたら、また違っていたかもしれない。
鶴崎 だから折れずにここまで来たという感じで、数学科に行こうと決めたのは大学1年生とかですかね。コンピューターも好きだしコンピューターをやろうかなぁなんて思ってたこともあったんですけど、まぁうっかり。
――うっかり(笑)。
鶴崎 だから本当に「運よく」って感じなんですよね。
もしも鳥取生まれじゃなかったら、例えば東京に生まれて更にレベルの高い進学校に行ってたら、「みんなよくできるからやめよう」となっていた可能性はかなりありますね。
――確かに、鳥取と東京だとまず生徒数が全然違いますしね。
鶴崎 そうなんですよ。井の中の蛙的なところはありますけど、たまたま鳥取にいて、たまたま数学が好きで、めちゃめちゃ圧倒されるライバルがいなかったから、今こうなったという。
それでいうと、僕が高校生のときに「数学オリンピック」という、国際大会までつながっている数学の大会に出てたんですけど、実は毎回予選落ちだったんですよ。
――鶴崎さんが予選落ち? すごく意外です。
鶴崎 それが、大学に入ったときに、数学オリンピックによく出てた人に出会って話を聞いたんですけど、「数オリは過去問の傾向と対策が大事」と言っていて。都会だと数学研究部とかがあって、ノウハウが集積されてるんですよね。
田舎だとそういうのはないし、僕も競技性の高い数学の対策法とか全然知らなくて、戦略もなしに高校で習うようなタイプの数学を勉強すればいいと思っていたから。
だから結局数学オリンピックも、戦場に腹筋だけ鍛えていった人みたいになってたんですよね(笑)。
――戦場に腹筋だけ!(笑)
鶴崎 「銃を持てよ」っていう(笑)。「肉体だけ鍛えれば無敵じゃないか」っていう理論で行ったら相手は銃を使ってきたっていう。
▲肉体だけ鍛えて戦場に行くように数学オリンピックに挑んでいた人……!
――それは確かに勝負にならないですね。
鶴崎 だったんです(笑)。でも今となっては、そういう環境が充実しているっていう点で、僕は東京がすごく好きなんですよね。
「数学無理かもしれん」からの東大へ
――先ほど「すごく強い人がいたら数学をやめようと思っていた」と話していましたが、数学オリンピックではそうならなかったんでしょうか?
鶴崎 あ〜、数学オリンピックで予選落ちしたのは結構残念で、なかなかモチベーション続かなかったりとか、「数学無理かもしれん」なんてことも思ったりしましたね。
でも進路のことを考えると、東大入試には受かるような期待を持っていたんですよ。だからまず東大に入ってみて、無理だったら数学やめようみたいな気持ちでずっといました。
鶴崎 実際、現実は違うというか、数学オリンピックと大学入試ってあんまり関係ないんですよね。数オリで活躍してる人は数学者として活躍する素質がすごくあると思いますけど、数オリ予選落ちでも博士課程いけますし、数オリに1回も出たことがない研究者もいるでしょうし。
――なるほど。
鶴崎 なので当時は「数学オリンピックには向いてないかもしれんけど、好きだしいいんじゃない」みたいな気持ちでしたね。
「辛かったらやめればいいや」という気持ちで常にいたんですけど、「まだ辛くないからいっか」みたいな。別に数学を捨てて他にやることがあるわけでもないし。
――確かに、数学オリンピックが数学の全ての物差しではないですもんね。
鶴崎 そうですね。他にも模試とか「科学の甲子園」という大会など色々な大会に出ていたので、学問で力比べするっていう機会が色々あって、他のところで自分の力を試せたというのも良かったと思います。
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