水中考古学の調査で「元寇」に新たな発見が!
水中考古学の調査によって、新たな発見が起こったものがあります。
それが「元寇(蒙古襲来)」です。鎌倉時代に二度に渡って行われた元による日本侵攻のことで、1274年に起こった一度目の戦いを文永の役、1281年に侵攻した二度目の戦いを弘安の役と呼びます。
文永・弘安の役に参戦した御家人の竹崎季長が自らの戦いの様子を複数枚の絵と文章で表した「蒙古襲来絵詞」は、元寇の様子を伝えるものとして伝承されてきました。

長崎県と佐賀県の境にある伊万里湾は2度目の侵攻である弘安の役の舞台と考えられている場所で、多数の元の軍船がここに沈んでいるとされていました。ここに「鷹島海底遺跡」という水中遺跡が発見され、この遺跡の調査によって元寇に関する新たな発見がされたんです!
あの「てつはう」が見つかった!
元軍と戦っている竹崎季長の近くには、「てつはう」と呼ばれる爆弾がさく裂しているのが分かります。鷹島海底遺跡ではこの「てつはう」と見られるものが見つかったんです。

『蒙古襲来絵詞』以外にはほとんど史料での裏付けがなかった「てつはう」が、鷹島海底遺跡の調査によって存在していたことが確認されました。さらに見つかったてつはうの一部をCTスキャンで撮影した結果、内部に小さな鉄片や陶器片のようなものが詰められていることがわかりました。火薬で爆発させると、かなり殺傷力の高い武器であったと考えられます。


画像出典:九州国立博物館「長崎県松浦市鷹島海底遺跡出土品のX線CT調査」(一部画像を編集)
元軍の沈没船も見つかった!
元寇の際に日本に襲来した元軍の船とみられるものも鷹島海底遺跡で見つかっています。
鷹島海底遺跡では、弘安の役で沈没したとされる元軍船がこれまでに3隻見つかっています。船底の中心をなす竜骨と呼ばれる部分やそれを構成する外板と考えられる部分の木材が残っていました。元寇で襲来した船がどのような構造なのか、またどのような技術で建造されたのか研究が進んでいます。
これらの研究結果を受けて、ARで元寇の様子などを体験できるアプリがリリースされています。映像やクイズなどで元寇と鷹島海底遺跡を知ることができるだけでなく、一人称視点で鷹島海底遺跡を探索したり、ARを使って元寇船に乗船してみたり、といったコンテンツを楽しむことができます。この記事を読んで気になった方は試してみてください!

水中考古学による調査が進むことで、「蒙古襲来絵詞」などの文献史料でしか知ることができなかった元寇の実態が解明できるようになります。元軍や日本軍がどのように戦ったのか、圧倒的な戦力差があったはずの日本軍がなぜ元軍に勝てたのか、教科書で学んでいた「神風」は実際に起こっていたのかなど、教科書の内容が変わるレベルの大発見があるかもしれません。
今回は水中考古学の魅力についてお伝えしました。
日本で発見されている遺跡は約46万8000遺跡あるといわれていますが、そのうち水中遺跡はたった387遺跡で、全体の0.08%しかありません。海に囲まれた島国である日本には水中遺跡がもっとあるはずです。
水底の土の中にある遺物は条件に恵まれれば何百年前のものでも良い保存状態で見つかることがあるので、新たな歴史的発見が期待できます。今後も水中考古学から目が離せません!
参考文献
- 文化庁文化財第二課 2022 『水中遺跡ハンドブック』
- 九州国立博物館「長崎県松浦市鷹島海底遺跡出土品のX線CT調査」(長崎県松浦市教育委員会『松浦市文化財調査報告書第4集 松浦市鷹島海底遺跡総集編』2011年)
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