解説
正解は大分県でした。
ヒント1:日本で最初にかぼちゃが持ち込まれた
戦国時代、現在の大分県大分市は南蛮貿易の中心地として栄えていました。そのため、ヨーロッパから様々な物品や文化が持ち込まれたといわれています。かぼちゃもこの時に日本に伝来したもののひとつです。
大分における南蛮貿易は、1551年にキリシタン大名の
▲キリシタン大名・大友宗麟
ほかにも、大分は西洋音楽や西洋演劇発祥の地ともいわれます。記録によると、1560年にはアダムとイブを題材とする劇が上演されました。
ヒント2:岩壁に彫られた国宝の仏像
自然の崖や大きな岩に彫られた仏像を摩崖仏(まがいぶつ)といいます。大分県臼杵(うすき)市の臼杵石仏は日本の代表的な摩崖仏群です。現在は61体が国宝に指定されています。
臼杵石仏は平安時代から鎌倉時代にかけて造られたとされています。しかし、その高い評価とは裏腹に、作った人物や目的はいまだに多くの謎に包まれています。
臼杵石仏は一年を通して見ることができますが、シーズンによっては行事も楽しめます。7月には周囲の公園で蓮が見ごろを迎え、「蓮まつり」が開かれます。8月にはかがり火やたいまつを一斉に灯す「火まつり」が開催され、一帯が幽玄の世界に包まれるそうです。
ヒント3:「田んぼが多かった」ことが名前の由来
奈良時代に編纂され、大分の風土や伝説が記された『豊後国
広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきた)と名づくべし
と述べました。この「碩田」は「大きい田」の意味です。
しかし、実際には大分平野は狭く複雑な地形をしており、「大きい田」ではなく「多き田」が由来というのが近年では定説のようです。
ところで、風土記は大分だけでなく全国で作られましたが、そのほとんどは散逸しており、『豊後国風土記』は現存する数少ないもののひとつです。大分は史料に恵まれた県であるともいえるかもしれませんね。
今回は大分の歴史から問題を作ってみました。大分を日本史の中心としてとらえる人はあまり多くないと思いますが、その土地にはその土地の歴史があるものです。自分が住んでいる場所の歴史を調べるのも楽しいかもしれませんね。
解説を最後まで読んでくださりありがとうございました。ぜひ次回の「今日の一問・社会編」にも挑戦してください!
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