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4月から新年度がスタートしました。みなさんいかがお過ごしでしょうか? のせぴりかです。

年度の移り変わりといえば何を思い浮かべますか? 引っ越し、進学、それとも確定申告……?

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ところで、日本で「年度の始まり」といえば4月であることが多いですが、いったいどうして4月になったのでしょうか。理由を探ってみました。

「年度」は当初、コメにちなんで定義された

「年度」という概念は、国をはじめとした行政機関の歳入・歳出を区切るための期間である「会計年度」に由来しています。日本で初めて会計年度が制度化されたのは、明治時代が始まって間もない明治2年のことでした。

当時税収源として重要であったコメの収穫時期に合わせ、「年度」は旧暦10月から旧暦9月までと定められたのです。

▲「年度」は当初、コメの収穫時期に合わせて定義された

度重なる変更のカギは「財政難」

しかし、コメにちなんだこの定義が長い間使われることはありませんでした。実は、現在使われている4月始まりの定義に至るまで、何回も変更が行われているのです。

原因は「明治政府の深刻な財政難」。その経緯を順にみていきましょう。

コメの収穫に合わせた定義のわずか3年後の明治5年、その翌年の明治6年から、「年度」の定義は新暦の1月から12月までへと変更する決定がなされました。明治6年は旧暦の「うるう月」にあたり、1年が13カ月存在したのです。旧暦では閏月がある年に役人のお給料を13回支払う必要があったため、新暦(グレゴリオ暦)を導入し閏月を廃止することで、お給料の支払いを減らせるともくろまれたのでした。

▲明治6年は、閏月を廃止した上、12月が2日しかなかったため、11回の支払いで済んだ

最後の変更は、明治17年に実施されました。こちらも財政難が関係しており、年度の始まりを酒造税の納期第1期であった4月に設定することで、厳しい財政赤字の帳尻あわせをしたのです。

日本における租税の仕組みは、江戸時代までの米を納めるシステムから、明治時代以降のお金を納めるシステムへと変化しました。秋に収穫した米をお金にして納めるにはある程度の期間が必要であり、年度の始めが4月という設定はちょうどよかったとする説もあるようですよ。

以降、年度の定義は変更されることなく今に至ります。めでたしめでたし。

人生の分岐点として特別な意味を持つことも多い「新年度」。明治時代に、財政事情から紆余曲折あって4月に落ち着いたと思うと、年度の節目も変に緊張しすぎず過ごせるかもしれません。

みなさんの新年度が今年もよきものとなりますように! またお会いしましょう。

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この記事を書いた人

のせぴりか

東京大学で医学を学ぶ6年生です。茶道、アイヌ語、日向坂46、カタンが好き。色々な分野を掛け合わせながら、「読んでよかった」と思っていただけるような記事をお届けできれば嬉しいです。

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