こんにちは。文学賞を受賞したことがある、ライターの中川朝子です。
毎年10月上旬になると、ノーベル賞の受賞者が部門ごとに発表されます。ノーベル文学賞は例年4番手の発表です。
自身も文学好きであり、小説執筆の経験もあったノーベル。彼は遺言で「理想的な方向で最も優れた作品を生み出した者」へ賞金を授与するよう指示し、これがノーベル文学賞のはしりとなりました。
▲発表の瞬間はドキドキ……筆者のイチオシはウエルベックです via Wikimedia Commons Prolineserver, CC BY-SA 3.0(画像を加工しています)
日本人の受賞者は、長い歴史の中で2人だけです。1人目は、『雪国』『伊豆の踊子』などの作品を残し、洗練された日本文学を世界に知らしめた川端康成。2人目は、『万延元年のフットボール』『個人的な体験』などで知られ、現代に深く根ざした創作に挑み続けた大江健三郎。いずれも世界の文学シーンで評価されています。
最近では『1Q84』『ノルウェイの森』などがベストセラーとなっている村上春樹や、ドイツ語と日本語を駆使して幻想的な世界を描く多和田葉子など、日本人の有力候補者にも注目が集まっています。
ノーベル賞を受賞した人物もいれば、「あと少しで逃してしまった」という人物もいます。ノーベル賞の選考結果は50年間の守秘義務があり、情報が公開されて「この人が候補だったんだ!」と思える人がいるのです。今回は、ノーベル文学賞の候補となるも、さまざまな理由からあと一歩で受賞を逃した日本の文豪たちを3人紹介します。
川端康成から「譲って」と言われた、三島由紀夫
三島由紀夫は、確固たる主題を力強い文章で描くことに長け、細部に渡る繊細な心理描写も文壇から高い評価を受けていました。
彼は1967年のノーベル文学賞の候補にノミネートされていたことがわかっています。奇しくも同年の最終候補には、翌年の受賞者である川端康成がいました。
往復書簡を交わすほど仲の良かった2人でしたが、ともに日本を代表する作家としての道を歩む中で、ノーベル文学賞が彼らのライバル意識を明確にしたことは、想像に難くありません。実際、三島は川端から直々に「譲ってくれ」と懇願されたそうです。三島は彼の頼みを受け、川端の推薦文を執筆します。
川端は受賞時「三島くんが若すぎたから受賞できた」と言及したそうです。
早逝しなかったら受賞していた? 安部公房
東大医学部を卒業したものの、医師ではなく作家の道を選んだ安部公房。超現実的・前衛的手法をもって、社会そのものや現代を生きる人間を鋭く描ききりました。特に『砂の女』は大ベストセラーとなり、晩年にはノーベル文学賞の有力候補と目されていたそうです。
しかし、彼は1992年に脳内出血で倒れ、翌年亡くなってしまいます。選考委員長を務めたこともあるペール・ベストベリー氏は「もしまだ彼が生きていたならば、受賞に至っていただろう」と述べています。
世界中の文筆家から推薦されていた! 谷崎潤一郎
日本文学の礎を築いた美しい文体で知られる谷崎潤一郎は、1958年のノーベル文学賞の候補に選出されました。
1938年の同賞受賞者であり、代表作『大地』で知られるパール・バックや、著名な日本文学研究者であるドナルド・キーンなど、名だたる文筆家が谷崎の推薦文を執筆しました。実は三島由紀夫も推薦に協力したそうです。
惜しくも受賞は叶わず、彼は1965年に湯河原でこの世を旅立ちます。もう少し長生きしていたら、受賞に至っていたのでしょうか。無念です。
世界的に優れた作家を選出するノーベル文学賞。文筆家としての名声が約束されるだけに、受賞への道のりは厳しく、涙をのんだ文豪も数多くいます。選考過程の公開には50年のタイムラグがありますから、ここで挙げた作家以外が候補に残っている展開も十分にありえます。上記の3人はいずれも、日本文学を支えてきた素晴らしい小説家です。みなさんもぜひ、彼らの作品を読んでみてください。
今年のノーベル文学賞の発表もとても楽しみですね!
【あわせて読みたい】