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1ページ目:クイズを解きたい方はこちらから! 以下は問題の答えと解説です

解説

正解はフローレンス・ナイチンゲールでした。「近代看護教育の生みの親」とも呼ばれるイギリスの看護師です。

▲ナイチンゲールの肖像。

ヒント1:津田梅子と面会

津田梅子は明治・大正時代の日本の教育者です。彼女は7歳にしてアメリカに留学したほか、人生で何度か欧米に渡りました。ナイチンゲールに会ったのは1899年、梅子が30代の頃です。日本での赤十字社の活動について報告したとされています。梅子が女子英学塾(のちの津田塾大学)を開いたのは、この面会の翌年のことでした。

他にも何人かの日本人がナイチンゲールと面会しています。彼らの中には、医師として看護教育に関わった人や、津田梅子と同じように女子高等教育に先鞭せんべんをつけた人がいたようです。1910年にナイチンゲールが亡くなった際には、日本でも新聞などで彼女の死が悼まれ、功績がたたえられました。ナイチンゲールが日本に与えた影響は決して小さなものではなかったようです。

▲津田梅子(1900年当時)の肖像。新5000円札の顔としても有名。

ヒント2:統計学の先駆者

ナイチンゲールは上流階級の生まれであり、高いレベルの教育を受けていました。また、「近代統計学の父」といわれるアドルフ・ケトレーを若い頃から尊敬しており、数学や統計に強い興味を持っていたと伝えられています。

ナイチンゲールはクリミア戦争に看護師として参加した際、その知識を生かしてイギリス軍の戦死者・傷病者に関する膨大なデータを分析しました。そして、29点もの統計図表を載せた小冊子を私費で発刊し、不潔な環境による感染症がイギリス軍の高い死亡率の原因であるということを証明したのです。統計図表は人々の説得に大いに役立ち、その後のイギリスでは陸軍の衛生改革が急速に進みました。

▲クリミア戦争における死因分析を表した「鶏のとさか」と呼ばれるグラフ

クリミア戦争後のナイチンゲールは体調不良のため、残りの人生の多くをベッドの上で過ごしました。しかし、ナイチンゲールは国内の貧しい人々の暮らしに目を向け、なおも著作によって公衆衛生の整備を訴え続けました。彼女は統計学を武器に、ベッドの上からイギリスの衛生状況を改革したのです。

ヒント3:「クリミアの天使」と呼ばれた

ナイチンゲールはクリミア戦争で自らトルコの基地まで赴き、看護師たちを率いて傷病者の看護を行いました。彼女は野戦病院の改革によって死亡率を劇的に減少させ、「クリミアの天使」と呼ばれるようになりました。傷ついた人々にランプの明かりとともに手を差し伸べる「Lady with the Lamp(ランプを持った婦人)」としてのイメージは多くの人に今も刻まれています。

クリミア戦争でのナイチンゲールの活動は、赤十字の創設者であるアンリ・デュナンにも影響を与えたといわれます。赤十字の原則のいくつかは、ナイチンゲールの行動からひらめきを得たものであるとのことです。彼女の名は、赤十字が看護・保健医療の分野の功労者に贈る「フローレンス・ナイチンゲール記章」に今も残っています。


多くの人の命を救ったナイチンゲール。彼女の人生からは、人を助けようとするためには志だけでなく確かな学も必要であると感じさせられます。

最後まで読んでいただきありがとうございます! 今回で「今日の一問・社会編」はひと区切りとなりますが、今後の記事もお楽しみに!

【前回の「今日の一問・社会編」はこちら】

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この記事を書いた人

藤島

東京大学理学部4年生で、生物学を専攻しています。好きなことは歴史、生き物。趣味は読書などです。新しい分野を知る第一歩になれるような記事を書けるように頑張ります。

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