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解答&解説
正解は「トルコ」でした。トルコはヨーロッパとアジアの間に位置する国です。古くから人々や文化の交差点として繁栄し、様々な時代の遺跡などが残っています。
ヒント1
1つ目の写真はエフェソス遺跡です。エフェソス遺跡は、トルコ西部のイズミル地方に位置する遺跡です。
イズミルは古代ローマ時代に全盛期を迎え、1世紀ごろには人口が25万人を超えていたといわれています。当時はローマに次ぐ世界で2番目に大きな都市だったと考えられているほどだとか。
恋人関係にあったプトレマイオス朝エジプトの女王・クレオパトラとローマの権力者・アントニウスが一緒に過ごしたり、キリスト教の重要人物である聖母マリアや聖ヨハネがこの地で余生を過ごしたりしたといわれています。
ヒント2
2つ目の写真はハギア・ソフィア大聖堂(アヤソフィア大聖堂)です。ハギア・ソフィア大聖堂は、トルコの大都市・イスタンブールに位置する聖堂です。
元々はキリスト教の聖堂で、内部にはイエス・キリストのモザイク壁画などが残されています。
しかし、8世紀前半頃から広まった聖像破壊運動や、13世紀初めに十字軍によりコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)が一時征服されたことなどから、内部のモザイク壁画などが損傷してしまいました。
そして1453年、イスラム教の国・オスマン帝国がコンスタンティノープルを征服したことで、ハギア・ソフィア大聖堂をイスラム教のモスクにかえる命令が下されました。
しばらくオスマン帝国がコンスタンティノープルを支配していたことから、ハギア・ソフィア大聖堂は長らくモスクとして機能していました。しかし、オスマン帝国は、第一次世界大戦を受けて滅亡し、現在のトルコ共和国が成立することになります。損傷していたモザイク壁画を復旧させる作業などを経て、1935年、ハギア・フィア大聖堂は博物館として生まれ変わりました。
60年以上博物館として機能していたハギア・ソフィア大聖堂ですが、2020年に再びイスラム教のモスクとして機能することになります。一部立ち入ることができないエリアもできたものの、未だ多くのエリアには入ることができ観光客を受け入れています。
ヒント3
3つ目の写真はカッパドキアです。
「妖精の煙突」などの奇岩が立ち並ぶ風景でよく知られていますが、この奇岩を生かして古くから人々が定住してきたことから、実は世界複合遺産(世界文化遺産と世界自然遺産の基準をあわせ持つ世界遺産)に登録されています。
カッパドキアには、キリスト教の教会や礼拝堂が1000以上も位置しています。初期ローマ帝国ではキリスト教徒が迫害されていました。一部のキリスト教徒は迫害から逃れるため、カッパドキアの奇岩をくり抜いて、教会や地下都市の礼拝堂を作り、ひたすら信仰を守り続けました。隠れて信仰を続けていた人々が作り上げた教会などが、今なお残されています。
サムネイルおよび解説記事の出典
・エフェソス遺跡:Wikimedia Commons FlickrLickr CC BY 2.0(画像の一部を加工・トリミングしています),Wikimedia Commons Djenan Kozi CC BY-SA 3.0(画像の一部を加工・トリミングしています)
・ハギアソフィア大聖堂:Wikimedia Commons Derzsi Elekes Andor CC BY-SA 4.0(画像の一部を加工・トリミングしています),Wikimedia Commons Arild Vågen CC BY-SA 3.0(画像の一部を加工・トリミングしています)
・カッパドキア:Wikimedia Commons Linda M Caldwell CC BY-SA 4.0(画像の一部を加工・トリミングしています),Wikimedia Commons Electragod77 CC BY-SA 3.0(画像の一部を加工・トリミングしています)
ぜひ次回の「今日の一問・社会編」も楽しみにしてください!
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