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1ページ目:クイズを解きたい方はこちらから! 以下は問題の答えと解説です

解説

正解は「始皇帝しこうてい」でした。紀元前の中国に存在した「しん」という国の君主です。

▲始皇帝の肖像画

ヒント1:1日に30kgもの書類に目を通した

中国を統一した始皇帝は、中央集権制の整備など様々な事業に取り組みました。軍事の面では北方の異民族からの攻撃に備えて、「万里の長城」を修築しています。内政面でもたいへん忙しかったようで、自ら1日に30kgもの書類に目を通していたといわれます。

中国各地でばらばらだった貨幣文字度量衡、果ては車輪の幅までもが始皇帝によって統一されました。思想の統一のため、本を焼き、学者を生き埋めにする「焚書坑儒ふんしょこうじゅ」をおこなったという恐ろしいエピソードも伝わっていますが、これには誇張が含まれているともされます。ともあれ、始皇帝は中国を1つの国として統一するために様々な政策をおこなったようです。

ヒント2:自分の墓に8000体以上の土人形を埋めた

古代中国では、死者とともに兵士や馬をかたどった「兵馬俑へいばよう」と呼ばれる像を埋葬していました。始皇帝の墓には兵士や馬の像のほか、青銅製の武器や馬車も埋められていました。

▲兵馬俑の一部

8000体以上の兵士の人形は軍における様々な役割や地位の人間を模しており、顔の形から身に着けているものに至るまで一体一体異なっています。もともとは色まで塗られていたとされ、秦という国の資源の豊富さや、大量生産が可能だった高度なシステム、発展した芸術を物語るものとなっています。そのスケールの大きさもあって「世界8番目の不思議」と称されることもあります。

ヒント3:史上初めて中国を統一し、「皇帝」を称した

皇帝」という称号は始皇帝が用いたのが始まりです。中国を統一した始皇帝は、家臣たちにふさわしい称号を議論させました。その結果、家臣からは「泰皇」という称号が推薦されましたが、始皇帝は自ら「皇帝」の称号を採用しました。「皇帝」には、古代中国の伝説上の帝王である「三皇五帝」を上まわるものである、などの意味が含まれているといわれています。

始皇帝は皇帝の一人称を「ちん」というなど、皇帝の専用語を同時に定めました。また、家臣が皇帝の呼び方を決めることを禁止し、自らを「始皇帝」として、以降を二世皇帝、三世皇帝......とするようにしました。これは、皇帝を家臣によって議論されてはいけないような絶対の存在にするためとされていますが、秦が滅んでからは死後の皇帝の呼び方は家臣によって決められるようになりました。


中国は紀元前の時代から思想や技術が大いに発展した国です。面積も人口も、古代から日本とはけた違いで、中国史は日本史とは違ったスケールの大きさが感じられるのが魅力の1つだと思います。

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この記事を書いた人

藤島

東京大学2年生で、生物学科に内定しています。好きなことは歴史、生き物。趣味は読書と釣りです。新しい分野を知る第一歩になれるような記事を書けるように頑張ります。

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