どうも、カワカミです。
僕は大阪で生まれ大阪で18年間過ごした生粋の大阪人なのですが、上京して約3年、ついに関西弁ではなくほとんど標準語になってしまいました。特に意識しているわけではなかったのですが、やはり周りがみんな標準語だと伝染ってしまうようです。上京したときは、むしろ周りを関西弁に染めていたのですが……。
上京したばかりの1年生の頃を思い返すと、「あ、これ方言なのか」と気付くことが多々ありました。たとえば、クラスメイトとファミレスに行ったとき。注文を終えた直後のこと。
カワカミ「あ、このメニュー、なおしといてくれへん?」
クラスメイト「え?」
カワカミ「え、ああ、ごめん。なおしておいてくれませんか?」
クラスメイト「???」
カワカミ「???」
僕としては語尾の「~くれへん?」が伝わらなかったのかと思って言い換えたのですが、そもそも「なおす」自体が方言だったんですね。意味は「片付ける」。僕としてはメニュー表を片付けて欲しかっただけなのですが、クラスメイトは「メニュー表のどこが間違っているのだろう? そもそもどうして僕が修正しなければいけないんだ?」と怪訝に思った、というわけです。
このように、方言はしばしば自覚していないものです。今回はいろいろな方言を集めてみました。どういう意味なのか当ててみてください。
ところで、前述した「なおす」という方言、近畿~九州の他にも、東北地方の一部にも見られます(『日本言語地図』参照)。実は、このように離れた場所で同じ方言が使われているケースは昔から多く見られます。
こういった一見奇妙な現象を説明するため、民俗学者・柳田國男(やなぎた・くにお)は1930年に著書『蝸牛考(かぎゅうこう)』のなかで、「方言周圏論」という考え方を提唱しました。
「蝸牛」とはカタツムリのこと。柳田は、日本全国で「蝸牛」がどのように呼ばれるかを調べました。すると、おおよそ以下のような図が描けることが分かりました(図はカワカミ作)。
京都を中心とした同心円。これはいったい何を示しているのでしょうか。
柳田は、当時の文化の中心・京都で生まれた新語が波紋のように広がって同心円が形成されるのだ、と主張しました。つまり、京都では〈ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシ〉の順に生まれ、それが広まったのだ、ということです。
これは「ことばは生きている」ということを如実に表しているのではないでしょうか。勿論、この説はひとつの解釈に過ぎず、反例も多くあるのですが、今でも方言研究の基礎となっています。
これを現代に適用させることは、かなり難しいと思われます。それは何故でしょうか。
いま皆さんが使っているもの。
そう、インターネットの影響です。
当時、ことばは口伝てでゆっくりと広まりました。現在は、クリックひとつで世界中に広まります。この違いは、非常に大きいでしょう。
ネットスラングの流行り廃りも加速度的に速くなっています。これからの日本語がどうなっていくのか、僕は楽しみにしています。
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