空が「落ちる」状態とはどんなものか
一度冷静になると、普通に空が文字通り「落ちてくる」可能性はだいぶ低いだろう。空は上にあるからこそ空だし、どれだけ上に行っても空の上にあるものもまた空だからだ。
しかし、「空が落ちてくるように見える」ことについては、一考の余地がある。「空が高い/低い」という表現はよく耳にするところで、日常でも特に秋から冬にかけて体感することが多いだろう。つまりは、「空が高い」状態から「空が低い」状態に変化すれば、「空が落ちてくる」と言えなくもないのである。うむ、言えなくも、ない。
では、「空が高い/低い」とはそもそもどんな状態か。
ウェザーニュースやダイヤモンド・オンラインの記事によれば、秋の空が高く感じられるのは、乾燥した空気の分子構成的に空がより青く見えることなどによるものだそうだ。
つまり、青の濃い、湿り気のない空が、湿気を帯びてみるみると曇りゆけば、人は「空が落ちてくる」と感じることができるのだ。
愛の力で。
……いやいや、ここが難しいのだ。なんといっても今回は「愛の力」縛り。それがどんなものかわからないが、地球規模の現象を引き起こすというのはかなりハードルが高い。
季節のうつろいや大気の循環、そういったところにまで愛が介入するというのはいささか信じ難い話である。愛は地球を救えるかに疑義が呈されている昨今、この難題はもはや越えることのできない壁のように思える。
愛は哀しみを生み出し、そして雲を生み出す
しかし、いつだって困難は分解するべし。愛の力への解像度を上げていけば、物事はわかりやすくなっていくだろう。
『北斗の拳』作中では、愛ゆえに多くの涙が流され、哀しみが生まれた。哀しみを知らぬラオウは、強さのためには哀しみが必要であり、それを得るためには愛を失わねばならぬという理論で(!?)ユリアの命を絶とうとした。愛は、哀しみを生み出すのである。
「愛で空が落ちてくる」のであれば、きっとそれは哀しみに関係しているのだろう。
もっと解像度を上げれば、涙に関係しているのではないだろうか。
よしわかった。世界中の人が愛ゆえに流す涙、つまり水分、それが集まれば雲ができ、空の高さを下げることができるはずである。検証してみよう。
たとえば、空の低いところにできる積雲は、1㎞3あたり250~300tの水分でできている。だいぶ重い。これを作り出すことができれば、空が落ちてくることになると言えるだろう。
一方で、泣いて流れる涙の量については、あまり文献が見当たらない。普段の目を覆っている涙は、一日で1mL程度だというから、まあめっちゃ悲しいことが、具体的にはふだんの5倍くらい悲しいことがあったなら、たいへん雑だが5mLくらいの涙が流れる、としよう。おおむね水だとして、重さは約5gだ。
そのうち蒸発するものは……いろいろなデータがあり何が正しいかを見極めるのがだいぶ難しかったが、約10%であると仮定する。すると、一日のうち、一人の人間が泣くことで地球に戻せる水の量はせいぜい0.5g程度だ、ということになる。
となると、単純計算ではあるが、250tもの涙水(なみだみず。今作った言葉だ)を蒸発させるために必要な人数は、ズバリ5億人だ。水がそのまま垂直に上昇して蒸発する、ということ自体考え難いが、単純化のためにそういうもんだとすると、1㎞2に5億人が入り、いっせいに泣くことになる。
ちなみに、日本の人口密度は1㎞2あたり331人(2022年)。東京都は6309人(2023年)。世界1位の人口密度を誇る国・モナコは24621人(2022年)だ。それに対し、涙の積雲を発生させるために必要な人口密度はそのまんま5億人。東京の約8万倍である。1人当たりの立てる面積は20cm2。4.5cm角の面積に立たねばならないから、トゥシューズ必須、まさに
▲東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを合わせた面積が約1㎞2です
愛と哀しみの涙説、無理があった
……さすがに、愛の涙だけで雲を発生させるのはどうにも難しそうだ。
実際には大気の中に多くの水が含まれているので、涙が少しだけ雲を作る後押しになる……みたいな展開もあるかもしれないが、当初の目標の250分の1、1tの水分を発生させるだけでも200万人が必要であり、1人当たり約70cm×70cmの中に立つことになる。人間、起きて半畳寝て一畳というが、この狭さだと起きていることしか出来ない。満員電車よりは余裕があると考えれば無理ではないが、とはいえこんだけ頑張ってわずか1tである。
あくまで「愛で」空が落ちてくると言い切っている以上、愛の貢献度が低すぎると失格だ。涙で雲を作る可能性は、諦めざるを得ないだろう。
愛の力を再定義してみる
哀しみの涙だけで空を落とすことはどうにも難しいことがわかった。もっと現実的な手段を探そう。
こういうとき、いつだってヒントは周りに落ちている。視野を広げてみると、2番の歌詞にヒントらしきものがあった。
YouはShock
愛で鼓動 早くなる
クリスタルキング『愛をとりもどせ!!』(作詞:中村公晴)
これだ。
宇宙飛行士は、宇宙空間において心臓機能の低下を防ぐべく、リハビリ的な運動を行うという。無重力の世界では、血液を送り出す力が必要なくなり、心筋が弱ってしまうのだ。なお、特に運動などしない場合は、心拍数は変化しないらしい。
つまり、宇宙に行ったら、なんやかんやあって鼓動は速くなるのだ。というか、あえて速くしないといけないのだ。
宇宙空間に行くこと、それは空に近づくことである。宇宙へと向かう人の目線からすると、「空へと近づく」ことで「空が落ちているように感じた」と言えるのではないだろうか。
鼓動が速くなっていることを証拠とするなら、「空が落ちてくる」とはすなわち、宇宙空間へと打ち出されているということであろう。
北斗神拳の力は偉大だ。世界観を同じとする『蒼天の拳』には、呼吸を長時間止める「調気呼吸術」なる技が登場する。ケンシロウとレイの戦いでは、人質を助けるため互いに一時的な仮死状態を作ったこともある。つまり、宇宙空間を生き残ることすら北斗神拳は苦にしないのだ。愛と哀しみの拳、北斗神拳なのだから、まあこれは愛の力ってことでいいだろう。
愛は物理的な移動に弱い
しかし、しかしだ。
その宇宙へと、どのようにして向かうのだろうか。
『北斗の拳』の舞台となるディストピア世界は、テクノロジーがガッツリと滅びている。おまけに資源もない。日々の暮らしに精一杯な中で、ロケット打ち上げなど到底無理だろう。
そして北斗神拳にも、流石に宇宙へと向かえるような技はない。なんなら飛ぶ技も、移動する技もない。ケンシロウは基本徒歩移動である。意外とそのあたりは現実的だ。
第一、今回は「愛で空が落ちてくる」のだ。北斗神拳を用いないロケットでの移動を、「愛」と呼ぶことは出来ないだろう。
どうにも、愛は物理的な移動に弱い。ものを移動させる動力としては、愛はパワー不足であるようだ。空を動かす、もしくは空に対する観測者を動かすことなど、到底不可能なように思えてくる。このまま諦めるしかないのだろうか……?