その「涙」を流したのは誰なのか
そのうえで、次に注目したいのは「落ちた涙も見ないフリ」だ。本丸の「知らずに」を一気に攻め落とすのは難しいので、周りからじわじわいこう。
きっと愛する人を大切にして
知らずに憶病なのね
落ちた涙も見ないフリ岩崎良美『タッチ』(作詞:康珍化)
これも、誰が見ないふりをしているのか、そして涙は誰のものなのかを考えたい。さすがに、「ため息の花」を束ねている南が、涙を流した本人と考えてよいだろう。ほか二人だと辻褄も合わない。
南自身が、自分の涙を振り切り前へ進もうとしている可能性もある。だが、「落ちた涙『も』」であることを考えると、見ないふりをしている人と臆病な人は同一人物だ。「臆病なのね」と主体が歌っているのなら、それはきっと自分についてではない。この可能性は除外しよう。
涙を流したのは南だ。見ないふりをしている、となるとこれはやはり達也であろう。ここから、臆病なのも達也であることがわかる。
▲なぜ達也は見ないふりをしているのか
突然登場する「愛する人」
さて、該当箇所の下一行は調べたので、今度は上一行だ。そしてこれが、さっきより難しい。
きっと愛する人を大切にして
知らずに憶病なのね
落ちた涙も見ないフリ岩崎良美『タッチ』(作詞:康珍化)
「きっと愛する人を大切にして」は、「して」が厄介なのだ。
解釈の一つは、「してくださいね」「しちゃえばいいじゃないの」的な「して」。もうひとつは、「したことで……こうなった」のような因果を意味する「して」。どちらが正解なのか、歌広場のフローズンドリンクより難しい二択だ。
「きっと」が推量を表すなら、後者のみが正解のように思える。しかし「きっと〜してくださいね」という形で「どうかお願い」という意味になることもあるため、前者も排除はできない。
この一行、かなり難しいぞ。一旦敬遠、次のバッターと勝負したい。
ちょっと視野を広げて、今回の本丸「知らずに臆病なのね」と組み合わせて考えよう。
まず、「知らずに」という言葉をいろんな辞書で引いたが、見出し語にもなっていなかった。定型の表現ではないかもしれない。
とはいえ、何かが省略されている、ということでもなさそうだ。「知らずに」という動詞の目的語となる「何を知らないか」は、とても重要な情報である。省略する意味がない。
となると、「知らずに」という言葉は、なにか近しい表現の言い換えなのではないか。辞書通りの言葉ではなく、それらしい言葉の代用として用いられている……という考え方だ。
これはとても骨の折れる作業だ。「愛する人を〜」というヒントはありつつも、数多ある言葉からしっくりくる言葉を探し出さないといけない。参加者の半分が寝たオールのカラオケくらい手詰まりである。
もう、手がかりはひとつだけだ。原作『タッチ』に立ち返ろう。
そして謎の核心に迫るーー
今回の主役・浅倉南から見た、上杉達也という存在。今回の重要参考人は彼だ。
先述した通り、南は達也のことが好きで、達也もそれに気づいているが、最初はその気持ちに答えようとしない。それはひとえに、南を好きな和也に対する遠慮ゆえのものだ。
この構図こそが、作品の肝であり、解読のヒントである。
「臆病なのね」という言葉は、南から達也に向けられたものであろう。「落ちた涙"も"」という表現から、この臆病さは「南の気持ちに対しての臆病さ」を意味するはずだ。
となると……「愛する人」というのは達也にとっての和也のことではないか。ラブソングに出てくる「愛」としては珍しいが、これは兄弟愛なのだ。Big Brother is watching you!
和也を大切にするあまり、南の気持ちをなんとなく避けている現状が、まさにここに歌われている。結果的に「きっと」は普通の用法であった。
さあ、周りは攻め落とした。いよいよ残るは「知らずに」である。
今判明しているのは「達也が和也を気遣うあまり、南の気持ちに対して臆病になっている」ということ。もうこれだけでも話は成立しているが、ディティールを詰めるために「知らずに」は存在する。
ここまでくると、もう推測の域を出ない。推測なのだが……この「知らずに」は「知らず知らず」と同じなのではないか。自然と、とか、気づかぬうちに、とか、そういった意味だ。
本人も気づかないほどなんとなく、南の気持ちを避けていた達也。南はそのことにも気づいているから、責めるわけにもいかずもどかしい。そんな繊細な関係性を歌詞に込めたのが、この「知らずに」だったのだ。
達也自身、南に対してこんなことばを投げかけている。(『タッチ』完全復刻版8巻『だからの巻』より)
「そのへんが自分でもよくわからないんだよ。上杉達也がどんな男なのか……」
そして、友人である原田も達也をこう分析していた。(『タッチ』完全復刻版4巻『かってな想像の巻』より)
「おまえは浅倉のためになんの努力もしてこなかった。だから、浅倉のことを好きだと気づいた今でも……どうしても弟に一歩ゆずっちまう。」
ここにある「どうしても」こそが、歌詞で言いたいことであろう。無意識のうちに、達也は南を避けていた。幼い頃から染み付いた達也の性質こそが、「知らずに」という言葉の指すものだろう。
達也の優しさと、それゆえのもどかしさ。それを巧みに描き出したのが「知らずに」という一語だった。
誰もが知る名曲は、細部を見てもなお優れた作品であった。細部にまで完璧な形で、『タッチ』の三角関係が織り込まれていたのだ。
「知らずに」の謎は解けた。しかし……
これにて、『タッチ』の歌詞に関する疑問は解消された。スッキリと合いの手を……
えっ……
なんだこの……私の頬を伝い落ちる……暖かくて清らかなものは……
涙……??
美しい3人の関係と、夢を賭けた甲子園……
切なく交錯する想い……
涙なしには、聴けないではないか……。
これでは、合いの手ではなく、鼻をすする音がカラオケボックスに響いてしまう。盛り上げるつもりで入れる曲だろうから、余計に盛り下がるだろう。
今後私とカラオケに行く人がいたら、どうか『タッチ』だけはご勘弁願いたい。もしくは、おしぼりの追加注文を。
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