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こんにちは。ライターの一等兵です。

みなさん、ソーシャルゲームはやっていますか? 携帯電話と私たちの付き合い方は、スマートフォンの登場以後、そしてまたここ2,3年で大きく変化しました。一番新しい変化のひとつに数えられるのが「ソーシャルゲーム」の普及だと思います。

『パズドラ』や『グランブルーファンタジー』、あるいは『スクフェス』や『デレステ』といった、世の中を席巻したゲームがいくつもありました。最近では『FGO』なんかも、その動向が注目を集めています。しかし、そのなかでほとんど唯一といっていいほどのインパクトをもって登場したのが『Pokémon GO』でした。

はじめ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカで先行配信が始まったポケモンGOは、瞬く間に社会現象となり日本でもその配信が待望されていました。そして、2016年の7月22日、ついに日本でも配信が始まりました

このポケモンGOの配信からすでに、半年あまりが過ぎています。このタイミングで、超ド級の「ソーシャルゲーム」として降臨したポケモンGOが、社会にどんな影響を与えてきたのか、どんなゲームだったのかを振り返ってみましょう。

目次

『Pokémon GO』とは、ARによる「昆虫採集」である

ポケモンGOは、いまさら言うまでもないことですが、『ポケットモンスター』という超超超大ヒットゲームのキャラクター、ギミック、世界観をそのままに、AR(拡張現実)技術によってスマートフォンの位置情報、カメラ画像と連動させて遊ぶことができるようになった「ソーシャルゲーム」です。

私たちのスマートフォンの位置情報が、グーグルマップの情報を基にしたデータベースとやり取りをすることで、<現実の私たちの近く>に、<ゲーム世界上で>、ポケモンがいたり、ジムやポケストップがあったりすることを教えてくれます。

ポケモンが近づいてくると、スマートフォンのカメラで捉えた現実の風景の画像のうえで、ポケモンが飛び回るのを観察することができます。そこにボールを投げて(これが案外ムズカしい……)捕まえて、育てて……、特に「クリア」という指標はなく、淡々とプレイすることができます。

もともと、『ポケットモンスター』というゲームのベースになるアイデアには「ゲームで虫取りを」というものがありました。シリーズの生みの親である田尻智(たじり・さとし)氏は昆虫採集に明け暮れる少年時代を過ごしたのち、彼が住む町田の郊外に多くの住宅が立ち並び、子どもたちの娯楽が『インベーダー』などのゲームへと移り変わる時期をじかに体験した世代でした。

田尻氏の個人史とゲームの関わりは『田尻智 ポケモンを創った男』という本にもなっています。

自分の住む街の自然が失われ、子どもたちの娯楽が虫取りからゲームへと移ってしまったあと、『ポケットモンスター』は再びゲームの世界のなかで「虫取り」の楽しさを再現することになります。そしてこれが爆発的な大ヒット。ですが、この「虫取り」は当然ゲーム画面のなかだけで行われるものであって、それをプレイする僕たちはどこにいても構いません。

そういえば昔は、子どもたちが外を歩きながらゲームボーイをしているのが問題になったりもしました。歴史は繰り返すんですね(笑)。

その流れと結びつけるならば、ポケモンGOという作品は、「虫取り」をするために私たちが「外に出なければならない」ゲームとなりました。それが森や洞窟のような自然である必要はないけれど、外をぐるぐる出歩いて、モンスターを探して捕まえる。『ポケットモンスター』の原点となった「虫取り」をスマートフォンのAR技術で「実現」したのがポケモンGOというゲームでもありました。

『ポケットモンスター』の着想の元となったアイデアとしてはもう一つ大きなものとして友達と持っているものを「交換できる」というものがありましたが、こちらはまだポケモンGOでは実装されていないようですね。

『Pokémon GO』の発明、それは「スマホの外」の再発見にある

ここまで述べてきたような、スマートフォンのAR技術を用いた現実世界での「虫取り」の実現は、さらに次のような特徴をもっていました。メディア考古学者のエルキ・フータモ氏はこのように述べています。

若い世代はそれ(=スマートフォン)なしの生活を想像することはできない。彼/彼女らにとってのスマートフォンとは今や不可欠の身体の延長なのだが、どこか退屈なものにもなっている。それはコミュニケーションにナビ、ショッピングなどのためのありふれたツールなのだ。『Pokémon GO』はスマートフォンに衰えゆく魔力を回復させ、それを退屈でしばしば醜い都市環境を奇跡的な場所へと変える力を備えた「魔術師の杖」にする。多くのスマートフォンのヘビーユーザーたちがもはやほとんど気にとめることのなかった家の外という領域を、スマートフォンで再度活気づかせることができるという意味において、『Pokémon GO』はスマートフォンを再発明したのだ。

(『ユリイカ』2017年2月号「ソーシャルゲームの現在」より、エルキ・フータモ「『Pokémon Go』とメディア熱の歴史」)

この文章の内容を少し僕なりに分かりやすく展開してみましょう。私たちがスマートフォンを使うときには何が起きているか。それは、ゲームのような自分の端末だけで完結するものを除くと、「コミュニケーションにナビ、ショッピング」など、現実の世界での活動をアシストする機能の多くを負っています。

しかし、それは現実の世界を豊かにするものであるというよりは、現実の世界との交渉を最小限に抑えるためのツールであると言えます。直接会うことなく文字データのみで会話をし、現実の地形や建物を把握することなく、スマートフォンの画面に映し出された自分の位置情報と抽象的な地図だけを辿っていけば現実での移動が完了し、食事の予約も本の購入もアプリ上で終了する。そんなふうに。

このとき、現実の世界がどのような外見をし、どんな特徴を備えているかは特に重要ではありません。現実の世界がどんなものかを気にすることなく、そこから抽象的な記号となってスマートフォンの画面上に映し出されたものだけを見て操作すれば、大抵のことが完了します。実際のところ、スマートフォン(だけではありませんが)は現実での生活を補助するツールではなく、現実と関わらなくても生きていける領域を拡張するツールでした。

その意味で言えば、ポケモンGOが用いた「拡張現実」の技術は、フータモが言うように「家の外」という領域を再び活気づけたのだと言えます。スマートフォンの画面さえ通せば、外の世界には愛らしいポケモンが跳ね回っていて、私たちが現実の世界をあらためて観察するきっかけとなります(実際は、ARモードを切ってプレイしている人も多いですが……)。

私たちが再び現実のディテールに目を向けるための「窓」、そのようなツールとしてスマートフォンを再発明したのがポケモンGOだったというわけです。私たちの生活がそれで何か変わったかといえば、賛否はあると思いますが、今後のAR技術とスマートフォンの可能性の一端を示す出来事であったことは間違いないでしょう。

しかし、フータモの文章では次のように言われていました。ポケモンGOが「都市環境を奇跡的な場所へと変える」と。ここで言われているのは「都市」なんです。これが、次のページから考えてみたいことです。ポケモンGOが活気づけたのは「田舎」ではなくて「都市」だったのだ、という問題です。

次のページでは、「都市」と「田舎」の格差、それとポケモンGOの関係について触れます(1/2)。

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一等兵

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