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みなさんこんにちは。ライターのです!

突然ですが、みなさんは流れ星を見たことはありますか?

▲今回は、宇宙と地球との繋がりを感じる記事です

空に一筋の光が現れる様子が神秘的で、「3回願い事を唱えると願いが叶う」といわれることもある流れ星。その正体は宇宙空間から地球の大気に突入した氷や岩の小さな欠片で、実はかなり頻繁に地球上に飛来していることがわかっています。

街中から離れた暗い場所では、普段でも1時間に数個は流れ星が見られるといわれていますし、東京大学の研究チームによると、流星のもととなる物体が1日あたり1トン程度地球に降り注いでいると見積もられています。

そんな流れ星の中でも特に大きなものは、明るい火球として観測されたり、大気中で燃え尽きることなく隕石として地面に落下したりすることがあります。

2025年2月現在、日本で発見・回収されている隕石は全部で54個。これは国土の面積に比較すると多い方で、日本は狭くても人口密度が高いため、落下した隕石の多くが回収されているという特徴があるようです。

今回は日本で発見された隕石から、おもしろいエピソードを持つものをいくつかご紹介します。

火球は隕石だった! 習志野隕石

日本で発見・回収された隕石の中で最も新しい隕石は、2020年7月に千葉県に落下した習志野隕石です。

この隕石は夜間に火球として関東地方上空を通過し、各地でその様子が目撃されていました。

そして、火球の出現とほぼ同時刻に千葉県習志野市のマンションで大きな物音が発生。朝になって住人が確認したところ、廊下に石の破片が落ちていることを確認しました。その後、火球についてのニュースを見た住人は、隕石である可能性を考えて破片を回収し、博物館に連絡。鑑定の結果本物の隕石だと判明しました。

▲落下直後に発見された習志野隕石1号。右側の破片は風雨にさらされたことで中に含まれる金属がさび、茶色くなっている。

習志野隕石は、船橋市のアパートの屋根やスーパーの屋上駐車場でも破片が発見されており、隕石が複数の破片に分裂した「隕石雨いんせきう」であったことがわかっています。

この隕石は各地の定点カメラなどに落下の様子が収められていました。この情報から、アマチュア天文家や研究者らによる落下地点予測が行われ、その情報も破片の回収に役立てられました。このような方法での隕石の回収は日本初で、今後も同様の情報解析に期待がかかっています。

習志野隕石の破片は、現在国立科学博物館に常設展示されています。また習志野市はレプリカを製作しており、ホームページ上では破片の3Dモデルを公開しています。

甘くておいしい? 笠松隕石

日本でこれまでに隕石が発見された町の中には、隕石を町おこしに活用しているところもあります。なかでも岐阜県笠松かさまつは、ユニークな方法で隕石を町の名物にしました。

笠松町に隕石が落下したのは1938年のこと。落ちたのは町の漬物屋さんの家でした。母屋の屋根の方からいきなり大きな音がしたのを耳にした従業員たちが上を見上げてみると、屋根に穴が空いているのを見つけたのです。急いで家族が確認すると、天井裏にある物置部屋の床板に、握りこぶしほどの黒い石がめり込んでいました

その後の分析により、この石は約46億年前にできた隕石であることが判明し、笠松隕石と命名されました。

現在、笠松隕石は町の天然記念物に指定されており、落下地点のお宅で今も保管されています。

そして2021年、笠松町では町おこしの一環として、笠松隕石をイメージしたオリジナルスイーツを発売しました。その中のひとつがこの笠松隕石最中もなか

特徴的な黒い立方体状の外見は、大気圏に突入した隕石に似せるため、竹炭を練り込むことで作られています。さらに昨年(2024年)からは、当初から販売されていたあんこ味に加え、マンゴー、ほうじ茶、ピーナツ、栗入り、ショコラクランチの新味が追加されました。笠松町の近くに寄った際には、みなさんも一度食べてみてはいかがでしょうか。

あの偉人の手に渡った! 白萩隕鉄

続いて紹介するのは、富山県上市かみいち町で発見された白萩しらはぎ隕鉄です。

白萩隕鉄は鉄やニッケルで構成された隕石で、1890年と1892年に、町を流れる上市川の上流付近で発見されました。落下した時期は不明ですが、分析からほぼ同一の成分でできていることが判明しており、元々は同じ隕石だったと考えられています。

1895年、白萩隕鉄の一部は、幕末から明治時代に活躍した政治家・榎本武揚えのもとたけあきによって買い上げられることになります。榎本はかつて外交のために滞在していたロシアで、皇帝が所有していた隕石製の剣を見たことをきっかけに、「いつか自分でも隕石で刀を作りたい!」と考えていました。

▲榎本武揚

念願叶って白萩隕鉄を手に入れた榎本は、刀工と相談しながらどのように隕石を刀に加工するかを研究し始めます。その過程で国内外の隕石の分析結果をまとめた論文『流星刀記事』は、隕石を扱った日本初の論文といわれています。

そして、とうとう隕鉄の一部を使って5振りの刀が完成。これらは「流星刀」と命名されました。そのうちの1振りは、当時皇太子だった大正天皇に献上されました。残りの刀は大学や博物館、神社などで保管されており、最近ではそのうちの1振りが、榎本と親戚関係である俳優の石黒賢さんの家系で保管されていることがテレビ番組で紹介されました。

なお、刀にならずに残った白萩隕鉄は、富山市科学博物館や国立科学博物館に収蔵されています。

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この記事を書いた人

東北大学大学院文学研究科・修士1年の楠です。 サークルでクイズをやったり、小説を書いたりしています。専門は考古学(主に平安時代の土師器)で、長期休み中は発掘調査であちこちに行っています。 「日常がクイズになり、クイズが日常になる」記事を書けるよう精進します。ご期待下さい!

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