映画のなかに散りばめられた「どうして」
身近な例で話そう。新海誠監督の『天気の子』というアニメ映画がある。メガヒットを記録した『君の名は。』の後に制作された映画で、この映画も大ヒットした。
僕もこの映画が好きだ。家出少年・帆高(ほだか)と天候を操る不思議な能力を持った少女・陽菜(ひな)の物語である。
この映画の最初と最後に、主人公の帆高と本が一緒に映るシーンがある。ほんの少ししか映らないので、意識していないと気付かないかもしれない。
物語の冒頭で帆高が家出をするシーンで彼は、『ライ麦畑でつかまえて』という小説を携えている。そして、物語の終盤で帆高が読んでいる雑誌には「アントロポセン」というまったく聞き慣れない言葉が並んでいる。
「これなんだろう?」という視点から調べてみよう。「ライ麦畑でつかまえて」と「アントロポセン」という言葉をそれぞれ検索してみれば、正解が出てくる。
『ライ麦畑でつかまえて』はサリンジャーという作家が1951年に出版した傑作青春小説で、「アントロポセン」(「人新世」と訳されることもある)は人類と地球環境や生態系の関係を考えるために導入された地質年代区分の名前である。
なるほど、細かく見ていくといろんなものが映画のなかに登場していることがわかった。けれど、それを調べたうえで、もっとたくさんのことが気になってくる。「どうしてあのシーンのなかにこれが登場したんだろう?」。
今度は、「天気の子 ライ麦畑でつかまえて」「天気の子 アントロポセン」で検索してみたらどうだろう。ただちにいろんな考察記事が出てくる。それらを読んでいくと、自分が気付いていなかった作品の伏線やメッセージが浮かび上がる。なかには、作品の解釈とはもはやまったく関係ない次元で、その作品の社会的な意義や影響についていろいろなことを論じているものもある。
僕がクイズを「やめた」理由
大学に入ってすぐに、こういうことを自分なりに考えてみるのが楽しいと気付いた。
「これなんだろう?」のそのさきで「どうしてこうなっているんだろう?」を突き詰めて考えてみる。そうすると、これまでただなんとなく通り過ぎていただけのものがもっと味わい深く、もっと興味深いものになることがわかった。
もちろん、「どうしてこうなっているんだろう?」を考えるための出発点はいつでも、「これなんだろう?」である。面白そうなものを見つける眼を、クイズが養ってくれた。そういう意味で、いまも僕の生活のなかにはクイズの精神がある。
ほどなくして、大学では哲学を研究してみようと考えるようになった。「どうしてこうなっているんだろう?」を考えるために、自分の周りのものをもっと楽しむために、それが必要だと思ったからだ。
こうして、僕のなかでクイズが果たしていた役割を、哲学が果たすようになった。僕はクイズをやらなくなった。波打ち際で貝殻を拾い集めるのに飽き足らず、海の底まで潜りたくなってしまったのだ。
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哲学に出会って、20代の10年間を捧げた。
つい昨日(※ 2023年7月29日)のことだ。東京大学駒場キャンパスの18号館で、僕の博士論文「メルロ゠ポンティにおける曖昧な世界の存在論」の審査が執り行われた。歴戦のダイバーたちに、僕が海の底から持ちかえった品々を鑑定してもらった。
結果は「合格」。正式な授与の手続きまではまだ時間がかかるらしいのだが、ひとまず肩の荷がおりた。
博士論文では、モーリス・メルロ゠ポンティについて論じた。20世紀の前半に活躍したフランスの哲学者で、私たちの身体(からだ)の在り方について、哲学的に考えたことで知られている。そんな彼が、「私たちが生きるこの世界」についてどんなことを考えていたのか、それが論文のテーマになった。
▲博論で使った書籍(一部)
この世界は、私たちが「これなんだろう?」「どうしてこうなっているんだろう?」と問いかけるたびに新しい
審査に向けて論文の内容をまとめ直していると、『君のクイズ』という小説のことを思い出した。そのなかに、「日本でもっとも低い山は?」という問いの答えがある時期を境に変わった、というエピソードがある。クイズの答えが変わっていたことを知らず、大会で誤答してしまった――そのとき、主人公はクイズが「生きている」ことに気付く。
「クイズは世界のすべてを対象としている。世界が変わり続ける以上、クイズも変わり続けるのだ。」
小川哲『君のクイズ』(朝日新聞出版) 72ページ
これはまったくの偶然だし、もっといえば単なるこじつけだ。しかし、「問い」と「世界」というモチーフが、僕のなかで「クイズ」と「哲学」をもういちどつなげてくれた。海の底に潜っていた僕のなかにも、クイズが生きている。
陸に上がって、空気を吸う。クイズと哲学を携えて、次はどこに行こうかしら。
▲筆者近影
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