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答え・解説
正解は、昭和天皇(裕仁)でした。
ヒント1:優れた記憶力を持っていた
昭和天皇は優れた記憶力を有していたとされており、作家・評論家の松本健一からは「記憶の王」とも評されるほどでした。
元首相の原敬が保管していた資料には、幼少期の昭和天皇の高い記憶力を示すエピソードが記されています。それによれば、昭和天皇は4歳にして人名や人の所作についてよく覚えていて、1~2年前の出来事でも記憶していました。9歳の頃には、珍しい虫を見つけてきた養育係に対し、ドイツの動物絵本を取り出してきて、100ページ以上ある挿絵の中から迷わずその虫を指し示したこともあったといいます。
他にも、皇太子時代にイギリスを訪れ、当時の国王ジョージ5世からの歓迎の辞に答辞を述べた際にも、カンペの1枚も持たずに堂々とスピーチを行ったといわれています。当時駐英大使館の書記官だった吉田茂は、このときの昭和天皇の記憶力のよさに驚嘆し、宮内大臣だった牧野伸顕(大久保利通の息子)に手紙を書くほどでした。
ヒント2:現時点で日本の歴史上最後の摂政
摂政とは、天皇に代わってその職務を果たす役職です。古くは推古天皇の摂政を務めた厩戸皇子(聖徳太子)や、後一条天皇(即位時9歳)の摂政を務めた藤原道長など、天皇が幼少または女性の場合に置かれてきました。
しかし、明治時代に成立した旧皇室典範では、女性天皇が禁止されたため、天皇が未成年または病気などで政治を行えない場合に摂政が置かれることになり、摂政になるのも皇族に限られました。大正天皇が病気によって職務を行えなくなった際に、この規定に基づき摂政になったのが、息子の皇太子裕仁(のちの昭和天皇)なのです。
太平洋戦争後に改正された現行の皇室典範でも、摂政を置くことができると規定されています。しかし、昭和天皇は「父の政務を奪ってしまった」との思いがあったようで、晩年にも摂政を置くことはありませんでした。現在の上皇陛下が退位する際にも、摂政を置くことでの対応が検討されましたが、大正天皇の例を望ましくないと考えたためか、上皇陛下が拒否したので、生前退位が実現しました。したがって、昭和天皇は現時点で最後の摂政となっています。
ヒント3:マッカーサーとのツーショット
第3ヒントの写真は、1945年9月に行われた、GHQの最高司令官・マッカーサーと昭和天皇との会見時の写真です。戦時期までは「現人神(明御神)」として神格化されていた天皇が、ノーネクタイのマッカーサーの隣に立つ小柄な日本人として写し出されたこの1枚は、世間に大きな衝撃を与えました。
マッカーサーはこの会見に際し、きっと天皇が命乞いに来るのだろうと考えていました。しかし昭和天皇は、「戦争の責任はすべて自分にあり、部下たちに責任はない。自身はどうなろうと構わないから、GHQによる国民への援助をお願いしたい。」といった内容の話をし、マッカーサーを感激させました。
ちなみに会見に際して写真はこの他に2枚撮られていました。しかし、1枚目はマッカーサーが目をつむっており、2枚目は昭和天皇が口を開け、足も開き気味でリラックスしていたため、3枚目が使われたのです。
解説を最後まで読んでくださりありがとうございました。ぜひ次回の「今日の一問・社会編」にも挑戦してください!
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