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解説
正解は北里柴三郎でした。「近代日本医学の父」として知られる戦前の医学者で、今年(2024年)7月から発行された新1000円札に肖像が描かれています。
ヒント1:日本における体温計の量産化にも貢献しました。
ドイツで留学を経験し、大日本医師会会長を務めるなど有数の医学者であった北里は1921年、仲間たちと共に体温計の量産化計画を進め、赤線検温器株式会社が設立されました。
当時、日本で使われていた体温計の多くはドイツやイギリスからの輸入品でしたが、第一次世界大戦が勃発すると、国内への体温計の供給が滞りました。国産体温計の量産化計画は、この事態に対応するべく立ち上げられたのです。
ヒント2:多くの弟子を育て、『ドンネル先生』の愛称で呼ばれました。
北里は教育者としても後進の育成に力を入れ、自身が設立した伝染病研究所や北里研究所での約40年にわたる研究生活の中で、多くの医学者を輩出しました。赤痢菌の発見者である志賀潔や、黄熱病の研究で知られ、北里の前の1000円札に肖像が描かれていた野口英世も門下生です。
北里は厳しい人柄で知られ、教え子の怠慢や筋の通らない話には雷を落とすこともしばしば。そのため、教え子たちの間ではドイツ語で「雷」を意味する「ドンネル(Donner)」先生と呼ばれていました。厳しくも弟子たちに慕われた北里の人柄がうかがえます。
ヒント3:破傷風やペストの研究で功績を挙げました。
医学者・北里柴三郎の功績として特に有名なのが、破傷風とペストに関する研究です。
破傷風は、傷口から侵入した破傷風菌が呼吸困難や全身のけいれんを引き起こす、致死率の高い病気です。北里はドイツ留学時、それまで不可能とされていた破傷風菌の純粋培養に成功しました。
北里はこの成果を足がかりに、破傷風に対する血清療法を開発しました。この功績をたたえ、北里研究所や北里大学のシンボルには破傷風菌があしらわれています。
また、日本に帰国した北里が上げた大きな成果が、ペスト菌の発見です。
ペストの流行が発生した中国・香港へ調査に向かった北里は、解剖された患者の臓器や血液から未知の細菌を発見し、これがペストの原因となるペスト菌であると発表したのです。
また、ペスト患者の家でネズミの死骸が見つかることに注目した北里は、ペスト菌を人に移す原因となるネズミの駆除を提言し、ネコを飼うことを推奨しました。北里のこうした尽力もあり、中国から始まった世界的なペストの流行は比較的小規模におさえられたのです。
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ここでお知らせです。「今日の一問・理科編」は、今回で一区切りとなります。ご愛読いただきありがとうございました。今後の記事もどうぞお楽しみに!
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