なぜ「強がり」が汽車につくのか
まず、一旦「強がり」はそのまま受け取ろう。傷ついた自分を隠した、というニュアンスが歌詞から感じ取れるのみである。フォーカスするべきは「汽車」だ。なんでわざわざ「強がり」の比喩として「汽車」なるものを持ってきたのか。それが問題である。
そもそも、汽車とはなんだろうか。
辞書的な意味では、単に蒸気機関車、SLのことを指して言ったり、ざっくり「電車」以外の列車のことを意味したり、もっと広く鉄道全体のことを表したりしている。思っていたより意味の広い言葉だ。
とはいえ、もっぱらイメージされるのは煙をもくもくと吐く、蒸気機関車であろう。
▲JR九州のSL人吉。2024年3月に運行を終える
鉄道の元祖とも言える蒸気機関車は、1872年の鉄道開業とともに日本でデビュー。その後100年にわたって使われ続けたが、旅客輸送のための利用は戦後だんだんと減っていき、1970年代にいったん活躍を終えた。
しかし、根強い人気を背景に、国鉄が民営化されると各地で次々に復刻運転が開始。現在では10を超えるSLが各地で運行され、観光資源として重要な役割を果たしている。
そして、ここにこそ「強がりの汽車」ポイントがある。
蒸気機関車を走らせるには、たいへんなお金がかかるのだ。
蒸気機関車は、エネルギーの消費効率がとても悪い。電気機関車が26%、ディーゼル機関車が25%に対し、蒸気機関車は7%にとどまる。燃費が悪いので、当然費用も割高だ。メンテナンス費や人件費が高い割に、走行可能距離は短い。旧時代のテクノロジーである蒸気機関車は、走らせるだけでコストが
当然ながら、現代にあって蒸気機関車を運用するのは、利潤追求が念頭にある。とはいえ走らせるだけだと赤字なので、観光資源として多めに運賃を取ったり、地域にお金を呼び込んだりすることが狙いだ。これは、実際に走らせてみないと金額が見えてきづらいお金である。自治体の協力ももちろん必要になるだろうから、鉄道会社側からしたら試算段階で多少の強がりが必要になるだろう。
そう、汽車そのものが、現代においては「強がり」なのだ。
となると、「強がりの汽車」とまで言及するほどに、「強がり」要素の強い汽車を探さねばならないだろう。これはとてもむずかしい。汽車業界は、強がりのオリンピックなのだから。
強がっていたのは、誰なのか
強がり群雄割拠の蒸気機関車たち。流石に「蒸気機関車」という狭い範囲のみで「汽車」を定義すると、推論に手詰まり感があるだろう。ここはひとつ「汽車」の定義を広げたい。ディーゼル機関車など、電気ではない機関車全般を含めるのだ。
そうすると、これは!と思える存在が出現する。
ディーゼル機関車・DD51である。
代表的なSLのD51、通称デゴイチとは異なる車体だ。むしろ、DD51はデゴイチを隅に追いやった仇敵と言えよう。ゴジラに対するメカゴジラ、アカギに対するニセアカギのごとく、主人公D51の行く手に立ちはだかったのである……脱線してしまった。鉄道だけに。
▲DD51 1 (2012年7月 / 碓氷峠鉄道文化むら) via Wikimedia Commons DD51612 CC BY 3.0 DEED
DD51は「嫌われた汽車」だ。
1960年代に「蒸気機関車を超えるパワーとスピード」を目指して作られたこのディーゼル機関車は、文字通り大車輪の活躍で日本の鉄道業界を支えた。性能の安定性ゆえに各地で用いられ、最盛期には四国を除く日本全国で供用されていたのだ。
それほどの有能汽車が、なぜ嫌われたのか。答えはひとつしかない。
蒸気機関車を、次々に引退へと追いやったからである。
DD51の活躍は、すなわち蒸気機関車が代替されたことにほかならない。彼らは出番を失い、時代遅れなものとなった。徐々に廃車が進むと、かねてよりの鉄道ファンは愛着あるSLを擁護し、代わりにDD51を叩いた。DD51の質実剛健なフォルムは「赤ブタ」や「文鎮」などといった心なき揶揄を浴びたのである。悪口の満員電車じゃん。鉄道だけに。
▲DD51 1000番台 via Wikimedia Commons DD51612 CC BY 3.0 DEED
いわばこれは、鉄道ファンの「強がり」であった。能力の差、時代背景、そういったものはみなわかっていたのだろう。それでもなお、DD51を認めるわけにはいかなかったのだ。俺たちの蒸気機関車が、苦しんでいるのだから。「思いもよらない悔し涙」を流しつつ、今では型落ちとなった汽車を走らす。それが強がりだと知っていても。いつまでも変わらない、蒸気機関車とファンとの関係でいたいのだけれど……
……無理がある。予備知識が必要すぎる。結婚式で流す曲ではない。シングルでリリースする曲でもない。
そもそもが、この1番で歌われているのは「過去の失敗」である。「愛した汽車にこだわり続ける強がり」を失敗と定義したら、「新しい愛に乗り換える」姿勢を良しとするスタンスになる。鉄道だけに。結婚ソングとしてはご法度だ。
新たな愛に進むためには、明らかな過ちとか、目に見えた失敗とか、そういうものが背景にないといけない。結婚式で笑いを取るときの基本は「失敗談は、人を傷つけず、わかりやすいもの限定」である。司会もスピーチも余興もやった自分からすると、DD51は披露宴向きではないと言える。二次会のカラオケまで我慢だ。
じゃあこれはどうだ
幸いにも、歴史をたどるとよりふさわしい「強がりの汽車」が存在する。
それも、人類史に名を刻む強がりだ。かつ、わかりやすく失敗した、結婚式に最適なエピソードでもある。
それは、列車砲だ。
▲第二次世界大戦期のドイツの28cm列車砲K5 via Wikimedia Commons Superx308 CC BY-SA 3.0 DEED
列車砲とはその名の通り、線路上を走る、列車に搭載された大砲である。陸上では移動させることが難しい巨大な砲身を、そのまんま車両にしてしまうことで移動可能にしたバケモノ兵器だ。
その銃身長は20mを超えるものも多い。中でも、第二次世界大戦でドイツ軍が用いた80cm列車砲に至ってはその長さなんと32m。約40km先に砲弾を飛ばすことが出来たという。
▲80cm列車砲の模型 via Wikimedia Commons Scargill CC BY-SA 3.0 DEED
当然、蒸気機関車やディーゼル車でないと運べないビッグオブジェクトである。こんなものが線路を走っていたら、周辺住民は腰を抜かしただろう。ソドー島ならパーシー涙目だ。
しかし、やはりというかなんというか、デカすぎることはリスクでもある。射撃のために必要な人員は1000人単位、準備にも週単位の時間がかかり、打てる砲弾は1時間に3~4発。とにかく効率が悪かった。
敵に接近されず砲弾を打てるというメリットはあれど、制空権を握られている場所ではおちおち準備すらままならない。他の戦闘手段に人員を割いたほうが明らかに効率的だった。打ったらすごいが、打つまでたどり着けない。これぞ究極のロマン砲だ。列車砲は、失敗に終わったのである。
特にドイツの列車砲は様々な要塞攻防戦に用いられ、一時は圧倒的な破壊力を見せつけたものの主役になることはついぞなかった。敗戦後には戦勝国から「このために使ったリソースがもし別のところに注がれていたら、我々は苦戦したであろう」とまで言われる有様である。
「強がりの汽車」伊沢の解答
つまりは、だ。
籠城する敵というありがちな罠に引き込まれ、期待に応えられず流した悔し涙。その威容に期待する兵士も多かったであろう、よもやこれが弱すぎる兵器だとは思わなかったであろう。デカいだけの車体を周囲に誇示しながら栄光なき鉄路をひた走るさまは、まさにこれこそ「強がりの汽車」である。
この曲は、列車砲にぴったりではないか。見掛け倒しの姿を思い出すことで、本当に強くなるために必要なものが改めて浮かび上がる。
バカでかい鉄の塊は、人の縁とは対比的な存在だ。ゴテゴテと飾り付けた姿よりも、飾らぬ心こそが美しい。人と人との絆は、30mの砲身でも破壊できないのだ……!
結論。
大名曲『君がいるだけで』は、列車砲を踏まえた人類愛の物語である。これ以外の解釈は、私には思いつかなかった。強がりの汽車は、超弩級の砲塔であったに違いないのだ。そうであってくれ。
ほんとに一体全体何なんだ「強がりの汽車」。1週間本気で頭を悩ませても、まったく太刀打ちのできないワードセンスだ。
どうしたら思いつくのだろう、素敵で不思議な比喩というものは。何食ったら、というか、どんな生活をしたらこんな言葉を紡ぎ出せるのか、とんと見当がつかない。やはり、人並み外れた発想のためには、敷かれたレールの上を走っているだけではだめなのかもしれない。鉄道だけに。
「伊沢拓司の低倍速プレイリスト」は伊沢に余程のことがない限り毎週木曜日に公開します。Twitterのハッシュタグ「#伊沢拓司の低倍速プレイリスト」で感想をお寄せください。次回もお楽しみに。
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