連載「伊沢拓司の低倍速プレイリスト」
音楽好きの伊沢拓司が、さまざまな楽曲の「ある一部分」に着目してあれこれ言うエッセイ。倍速視聴が浸透しているいま、あえて“ゆっくり”考察と妄想を広げていきます。
講演会というのは難儀なもので、毎回が一期一会の勝負である。
去年は年間で50ステージほど経験したが、毎回お客さんは違うわけで、となると趣味趣向も変わってくるわけで、話す内容にもバリエーションが求められる。
▲北海道鷹栖町での講演の様子(伊沢のXアカウントより)
一方で、毎度全く違う話をするほどにはレパートリーもないし、伝えたいことの本質は毎回そう変わらない。ゆえに私は、基本的な演題をいくつかストックし、マイナーチェンジしながら使っていくというスタイルに行き着いた。
当日のお客さんにあわせて、どうカスタマイズするか。それが勝負のポイントであり、講演をやる側のおもしろみでもある。
時たま、手札ではどうにも対処しきれないお題が来たりもする。先日は日本骨折治療学会での講演という前代未聞の仕事があり、ほとほと困り果てた。骨折歴も1度だけ、お医者さん相手に偉そうに語れることもそんなにない。四苦八苦しながら内容をひねり出した。
こうしたチャレンジは、もちろんつらいのだが、明らかな成長を与えてくれる場でもある。トークの引き出しを増やし、仕事の幅を広げるためのチャンスなのだ。
一度だけ語った「お気に入りの1曲」
そんなチャンスのひとつに、中高生向けの「活字文化」についての講演会があった。文化振興のためのイベントだが、テーマがなかなかトリッキーである。
結論から言うと、講演は失敗だった。ワークをいくつか交えた巻き込み型の内容にしたのだが、時間の見積もりがあまかったのだ。ワークの時間が足りず、中途半端に終わってしまった。
1.5倍の時間があれば、もう少し満足にできたのだろう。オーダーに応えられなかったことはひたすらに申し訳なく、その演目は以後一度も使っていない。
とはいえ、気合を入れて作った演目だったので、未だに思い出すだけで後悔が再来する。
特に講義の核を成したのが「精読」の必要性であった。つぶさに文章を読み、その真意を丁寧に見出す重要さを伝えたかった。
そのための課題として中高生に提示したのが、サニーデイ・サービスの名曲『花火』だ。
▲概要欄に歌詞が掲載されている
歌詞が好きな曲を10曲選べと言われたら、間違いなく入れる曲だ。そしてそれは、この曲の叙情的ながら示唆に富んだ表現によるところが大きい。余韻を残しながらも緻密なその詩は、もうシンプルに曲として最高なのだけれど、教材としてもぴったりだった。
果たして時間が足りていたら、私は受講生たちにその魅力を伝えきれただろうか。あれからしばらくが経ち、歌詞についての連載を持つことができた今なら、もう少しうまくやれるかもしれない。
なんなら、ここで皆さんに追体験してもらえばいい。「歌詞」の魅力を味わうには十分な題材だ。
ということで今回は、この曲の魅力を、ミクロな目線で皆様にお届けしたい。授業のように順を追っていくから、できれば手を止めて、考えながら読んでいただければ幸いだ。
一緒に『花火』を読み解いていこう
まずは、曲を一度聴いていただきたい。どんな曲なのか、素直な感想をなんとなく言葉にまとめて欲しい。そしてできれば、歌詞全体をご一読願いたい(まあ最悪、準備なしでも読めるようには書いているのだが)。
そのうえで、この歌詞世界に入っていく上でのきっかけとして、ひとつの疑問を提示しよう。私が講演で設定した課題はこれだ。
「外はまるでお祭りのような明るさ」なのはなぜか、である。
きみに伝えなきゃと思ったこと 急に思い出せなくなって
外はまるでお祭りのような明るさ 信じられないね!サニーデイ・サービス『花火』(作詞:曽我部恵一)
『花火』というタイトルなんだから……と思った方にこそ、精読を促したい。
ちゃんと花火が上がっているなら、お祭りの「ような」とは言わない。お祭りのときに「お祭りみたいだね」って言ったらお笑い草である。
つまりこれ、お祭りや、花火そのものの歌ではないのだ。
……では、これは何を歌ったものなのだろう。これが精読を進めるためのスタート地点だ。
考えるヒントは、いつも周りにある。直後の歌詞から解読を始めていこう。
こんな夜に ずっときみのそばにいたい
この時代が終わったら砂漠にでも行こうか?サニーデイ・サービス『花火』(作詞:曽我部恵一)
「この時代が終わったら砂漠にでも行こうか?」……ここにまた新しい情報が出てくる。
この時代が終わったら、行きたいところに行く。つまりは、今は必ずしも自由が利かぬ時代だ、ということである。なにやら不便なのだ。
歌われている状況を把握するために、さらなるヒントが必要だ。サビに関しては「この時代が終わったら」やりたいことが描かれているので、一旦置いておいて2番へと進もう。
ここもまた、大事な表現が登場する。
きみの中で白い花火がぱっとあがったのが見えたよ
此処はずっと大停電のように真っ暗 もうなれてしまったよサニーデイ・サービス『花火』(作詞:曽我部恵一)
「此処はずっと大停電のように真っ暗」。1番とは対照的である。
1番で「外は」と歌われていることを考えると、ここ、つまり今いる場所は室内なのだろう。そしてそこが大停電のように真っ暗なのだから……先程の復習である。「大停電はない理由で」真っ暗なのだ。
なんで外は明るいのか。不便な時代なのか。部屋は真っ暗なのか。なのになぜ外へと出ないのか。