よく、日本語は難しい、と言われます。その理由はいくつか考えられますが、一因として、漢字・ひらがな・カタカナの併用が挙げられるでしょう。
ところで、漢字はともかく、ひらがなとカタカナという2種類の仮名が、未だに両方使われているのは何故でしょう? 長い日本語の歴史のどこかで、どちらかに統一されても良かったはずです。
この理由は、平安時代の社会構造にありました。
仮名が誕生する前は漢字のみだった
そもそも、かつての日本には漢字しか文字がありませんでした。ですから日本語は当初、すべて漢文で書かれていたのです。
ところが当然、これはひどく困難なことでした。そこでやがて、一音一音を漢字の読みを借りてきて表すようになりました。これを万葉仮名といいます。現代風に言えば、「よろしく」を「夜露死苦」と書くようなものです。
しかし、これにもまた問題点がありました。画数が多くて、書くのが大変なのです。そこで、字形を省略しようという発想が生まれました。それが、ひらがなとカタカナなのです。
ひらがなは女性中心
奈良時代には、万葉仮名をくずして草書で書いたものが見られるようになりました。これがひらがなの起こりです。平安時代初期には、いまの形のひらがなが誕生しました。
当初は、漢字を崩したものという観点もあってか、正式な文字ではなく仮の文字であって、おおっぴらに使うものではないという考えがあったようです。
特に女性が多く使ったとされていて、たとえば『土佐日記』の文頭「をとこもすなる日記といふものを をんなもしてみむとてするなり」に実態がよく表れています(実際には男性もそれなりに使っていたようですが)。
カタカナは僧侶中心
一方カタカナはというと、これも平安時代初期に誕生しました。ひらがなが万葉仮名をくずしたのに対し、カタカナは字画を省いて作られました。
ではカタカナは、どこで使われたのか? 正解は、漢文の中、でした。
平安時代、漢文は貴族に必須の教養でした。難しい漢文を読み解くためには、送り仮名などを付け足す必要があります。しかし、万葉仮名で書くには、行間は狭すぎます。そこで生まれたのが、カタカナでした。
つまり、ひらがなとは使う場面が明確に異なったのです。カタカナは漢文を読み解く僧侶と、それを学ぶ貴族の間で使われました。
このように、ひらがなとカタカナは、使う人、使われる場面が違うために、両方が生き残ったと考えられているのです。
◇参考文献
- 沖森卓也編著(2010)『日本語概説』朝倉書店
- 沖森卓也編著(2010)『日本語史概説』朝倉書店