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※この記事は、東日本大震災や津波を想起させる内容となっています。また、防潮堤の高さの是非を論じる趣旨ではなく、東日本大震災発生後の東北での防潮堤の設計思想について解説する記事です。

2011年3月11日、15.1mもの巨大津波が岩手県釜石市(大槌湾)を襲った。その被災地には今、14.5mの防潮堤が建ち並ぶ。

海が見えなくなるほどのこのコンクリートの壁があれば、将来の津波に対しても安心なはず……。

ん……?

いや、ちょっと待ってほしい。14.5mの防潮堤だと足りなくないか? 津波は15.1mだったんだよね? また同じ津波来ちゃったら意味なくない?

▲防潮堤の上にある津波の高さを示す標識(岩手県釜石市)

実際に3.11の被災地には、意図的に3.11の津波より低く防潮堤が作られている。これは釜石市だけではない。たとえば仙台市荒浜地区では13.7mもの津波が到達したのにもかかわらず、現在は7.2mの防潮堤が作られている。

いったいなぜなのか?

キーワードは「減災」

防潮堤を3.11の津波より低く作ったのは、東日本大震災を機に、被害を防ぐ「防災」から被害を減らす「減災」へと考え方が大きく変わったためである。

減災とは、「大自然災害を完全に封ずることはできない」という考えに基づき、災害の被害を最小限におさえるために行われる取り組みのことである。

3.11以降、防潮堤は「比較的よく起こる津波は防潮堤で防ぐ」「それを超える東日本大震災のような最大クラスの津波は、防潮堤だけではなく避難や背後の土地利用を軸に被害を減らす」という2つの考え方のもと作られるようになった。これが、防潮堤が津波の高さより低く作られている理由である。

そもそも東日本大震災とは

今(2025年)から14年前の2011年3月11日14時46分、日本の観測史上最大のマグニチュード9.0の大きな地震が発生。巨大な津波が東北地方の太平洋沿岸を襲ったほか、原子力発電所事故も発生し、死者・行方不明者が2万人以上にのぼる大災害となった。

「想定」を超える巨大津波

東北地方は津波の経験が比較的多い地域。もちろん対策を何もしていなかったわけではない。1896年の明治三陸地震津波、1933年の昭和三陸地震津波、1960年のチリ地震津波といった過去の津波を受け、防潮堤などの海岸堤防を整備してきた。

海岸堤防を作る上でどのように高さを決めてきたのか。原則として、これまでその地を襲ってきた切迫性の高い津波・高潮のうち、最も高い「既往最大の高さ」をもとに津波を想定して設定されてきた。過去に最大5mの津波が来たことがわかっているのであれば、それを超える高さ、例えば6mの防潮堤を作るという考え方である。

しかし、東日本大震災の津波は、その「既往最大の高さ」を大きく超えてきた。震災前の津波高の想定に比べ、岩手県では最大約2倍、宮城県・福島県では最大約9倍の津波が襲来した。

その結果、岩手・宮城・福島の3県の海岸で整備されていた約300kmの堤防のうち、約190kmの堤防が全壊・半壊してしまった。防潮堤の設計基準となった高さを大きく超える津波がやってきたために、甚大な被害が生じてしまったということである。

従来の「既往最大を防ぐ」は不可能に

では、また東日本大震災の津波より高い防潮堤を作ればよいのか

当時の政府や有識者が出した答えは「No」であった。

今回の津波は、これまでの災害に対する考え方を大きく変えた。今回の津波の浸水域は極めて広範囲であり、その勢いは信じ難いほどに巨大であった。それは、物理的に防御できない津波が存在することをわれわれに教えた。この規模の津波を防波堤・防潮堤を中心とする最前線のみで防御することは、もはやできないということが明らかとなった。(東日本大震災復興構想会議『復興への提言~悲惨の中の希望~』、2011)

東日本大震災クラスの防潮堤を整備するには、技術的な課題、莫大な予算、周囲の生態系や環境への影響、まちの景観や日々の生活への影響があまりに大きくなる。そのため、これまでどおり既往最大を防ぐ考え方を適用することは、とても現実的ではなかった

3.11の反省と教訓「災害に上限なし」

そして何より大事なのは、防潮堤に頼り切らない姿勢である。どんなに大きな想定をしようとも、そのひとつの基準を設定して防潮堤で防ぎ切るという考え方そのものが適さないという反省が根本にある。

仮に東日本大震災クラスの防潮堤を作ったとしても、それを超える津波が起きてしまったらまた同じような被害が生じてしまう。「想定外だった」という反省を繰り返すわけにはいかない

だからこそ、東日本大震災のような最大クラスの津波については、防潮堤だけを頼りにしないで、人々の避難行動やまちづくりなどで被害を減らしていくしかない。

東日本大震災で私たちが学んだ「想定外」への教訓を無駄にしないために、新たな考え方が必要になった。その考え方こそが、「減災」だ。

新しい考え方「防災」から「減災」へ

防潮堤における「減災」の考え方は、冒頭で紹介したように「2つのレベルの津波を想定する」点に見られる。

レベル1津波は防潮堤で被害を防ぐ

まず、比較的よく起こる津波(数十年から百数十年に一度発生、レベル1津波)については、防潮堤などの「ハード対策」で被害を防ぐ防災をおこなう。人命保護に加え、住民財産の保護、地域の経済活動の安定化などの観点から被害を抑止することとする。

レベル2津波は避難や土地利用とあわせて被害を減らす

次に、発生頻度が極めて低いものの甚大な被害をもたらす最大クラスの津波(数百年から千年に一度、レベル2津波)については、住民避難を軸に土地利用などの総合対策をとることで、浸水はするけれどもなんとしても人命は守り切り被害を軽減させる減災という考え方で対策する。

この方針をふまえ、防潮堤の高さについては、基本的にはレベル1津波の高さに基づき、地域の状況に応じて決定されることとなった。東日本大震災は最大クラスのレベル2津波であるため、結果として東日本大震災の津波より低い防潮堤が建設された。

防潮堤を超える津波が来ちゃったらどうするの?

最大クラスの津波は、防潮堤を超える。これは、そのような津波へのあきらめでは決してない。その対策として、円滑な避難行動のための体制整備とルール作り、地震・津波に強いまちづくり、津波に対する防災意識の向上があげられている。

▲まち全体で津波を軽減するための考え方「多重防御」の例(画像引用:平成23年度国土交通白書

大事なのは「逃げて命を守ること」

防潮堤が3.11津波より低く作られたのは、3.11を機に「防災」から「減災」へと考え方が変わり、防潮堤で防ぐのは数十年から百数十年に一度起こるようなレベル1津波となったためであった。

間近で見るとあれだけ大きい防潮堤なのに、東日本大震災の津波よりは低い。私が9年前にはじめて被災地を訪れたとき、正直意味がわからなかった。

そこから東北大で9年間津波防災を学び研究するなかで、そこには「防潮堤だけで防ぎ切ることはできない」という強い反省と教訓があることを学んできた。

冒頭の写真の「防潮堤の上にある津波の高さの標識」は、「防潮堤があるから大丈夫」ではなく「逃げて命を守ることが何よりも大事」であることを今も私たちに教えてくれている。

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この記事を書いた人

ユウ

東北大学大学院で防災を研究しています。楽しく読んでいたら自然と知識が身につく記事を目指して、私自身も楽しみながら記事を書いていきます。

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