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Guten Tag!
どうも、ライターの山下です。現在はアメリカの大学に在籍しつつ、旅行や留学として世界のあちこちに出かけています。

今回の舞台はドイツの首都・ベルリン

▲新旧の建物が混在する街並み。右手奥に見える針にピンポン玉が刺さったみたいなビルは、街のシンボル「ベルリンテレビ塔」

私は短期留学として1カ月ほど滞在していたのですが、勉強に集中できないほど散歩が楽しい街でした。いくつか、お気に入りの写真を紹介させてください!

ベルリン・街歩き編

▲18世紀に建てられた「ブランデンブルク門」。間近で見るとド迫力。
▲伝統的なドイツ料理をいただきます。豚肉のオーブン焼きにはナイフがブッ刺さっており、豪快(おいしいよ!)。
▲至るところにグラフィティが。

さて、私は筋金入りの「かわいいモノ好き」。散歩の中で、胸を躍らせるモノに出会ってしまいました。

▲丸っこくてベリーキュート
▲ここにも……
▲ここにも……。赤いのもベリーベリーキュート

彼らの日本での呼び名は「アンペルマン」。

ドイツ語の名称は「アンペルマンヒェン」であり、直訳すると「小さな信号機の男」!歩行者用信号機のピクトグラム(絵や図を用いて情報を伝える記号のこと)です。

この子たちを発見してすぐ「ベルリンの信号機ってかわいくない!?」と鼻息荒くホストマザーに報告。「ああ、アンペル(現地での愛称)のことね」と、ピンときてくれました。

交差点で写真を撮る観光客や、アンペルマンがあしらわれたキーホルダーや帽子を身に着けている人も目にします。日本におけるご当地キャラ的な愛されっぷり

グッズショップへ潜入!

▲せっかくなので、ウンター・デン・リンデン(東京の丸の内みたいな人気エリア)にあるフラッグショップへ

おお〜! 所狭しと商品が並びます。

▲日本の信号機ももっとグッズ展開していけば、ビジネスチャンス?
▲私はハガキとお財布を購入。ジーンズ生地が手に馴染んで使いやすく、愛用中です。

今ではこうしてご当地キャラのように親しまれているアンペルマンですが、実はベルリンの近現代史を象徴するアイコンなんです!

東ドイツで生まれたこの子たちは「冷戦」と「ドイツ東西分裂」を生き抜いてきました。

そもそも「冷戦」ってなんだっけ?

1945年、第二次世界大戦の終結時。敗戦国のドイツは戦勝国によって分割されることになり、アメリカイギリスフランスが西側を、ソビエト連邦が東側を管理しました。
この背景にあるのは、アメリカ率いる「資本主義陣営」とソ連率いる「社会主義陣営」の対立です(これを冷戦と呼びます)。

1949年にはこの対立が決定的になり、東西ドイツはそれぞれ別の国になってしまいます(ドイツの東西分断)。
首都のベルリンでも、西側は資本主義陣営・東側は社会主義陣営に属していたので、経済状況が良い西側に移動する人を防ぐために、かの有名な「ベルリンの壁」が建設されました。

アンペルマンの誕生年は、このベルリンの壁と同じ1961年。社会主義陣営のドイツ民主共和国(通称「東ドイツ」)で生まれました。

▲東ドイツの風景。アンペルマンを探せ

この子たちのまるっとしたシルエットはかわいいだけではなく、光源の面積が広いことで信号機としても優秀でした。

ただ、時は進んで1989年。アンペルマンはピンチに陥ります。

次ページ:意外なピンチの理由とは?

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この記事を書いた人

山下 実穂

アメリカの小さな大学、Wesleyan University 3年の山下です。政治学、特に国際関係学を専攻しており、常に旅に出るチャンスをうかがっています。一緒にワクワク学びましょう!

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