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こんにちは。ライターの一等兵です。

先日公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』が大きな話題となっています。この映画は、『海と毒薬』などの作品で知られる小説家・遠藤周作の『沈黙』という作品を原作としています。

この映画は、「日本とキリスト教」という重いテーマを扱ったシリアスかつ162分(!)という長尺の作品ながら、それがまったく苦にならない素晴らしい作品になっています。

しかしながら、いきなり「日本とキリスト教」と言われてもピンとこない人が多いと思います(まさしく、キリスト教に対するこうした私たちの鈍感さが、この作品のテーマの一つとなっています)。

そこで、今回の記事では少しこの作品の感想と、作家・遠藤周作の紹介を交えて「日本とキリスト教」の問題に(ごくごく簡単に)触れてみたいと思います。まだ映画をみていないという方には、観に行く前の予習としてきっと役に立つと思いますよ。

目次

『沈黙』の概要

舞台は1630年代頃の日本です。1612年に江戸幕府が直轄地における「禁教令」を発布したのを皮切りに、この時代には、お上による隠れ切支丹(キリスト教信者)の弾圧が繰り広げられていました。

これは多くの人が日本史の授業で聞いたことがあると思います。そして、この弾圧は海外から日本にやってきてキリスト教を広めようとしていた宣教師に対しても同様に行われていました。

お上は宣教師たちを捕らえ、拷問や懐柔策によって「転ぶ」(キリスト教の信仰を棄てること)ように仕向けます。遠藤周作の原作およびこの映画では、実際に「転びキリシタン」として知られる実在の人物クリストヴァン・フェレイラとジュゼッペ・キアラをモデルとした人物が登場します。

彼らはいずれも、キリスト教を広めるために日本にやってきたものの、幕府の弾圧に屈し、日本名を得て信仰を棄てることになりました。

布教の使命に燃えてやってきたものの、「日本」という分厚い壁に阻まれ、布教を諦めるどころか自身も信仰を棄てなければならないことになってしまう宣教師たちの絶望を通して、「日本とキリスト教」という未だ大きく謎めいた、重厚なテーマを描き出すのが、この『沈黙』という作品です。

この「日本とキリスト教」というテーマを考えるためにおさえておくべきポイントは大きく分けてふたつあります。ひとつが「政治的な問題」。もうひとつは「文化的な問題」です。

「政治的な問題」というのは、西欧諸国によるキリスト教の布教が、いくつかの側面で日本を支配するための政治的な手段となっていたことです。日本のキリスト教勢力が幕府の支配体制に従順でなかったこともあり、幕府はキリスト教勢力が拡大することを警戒していました。

もうひとつの「文化的な問題」はこの政治的な問題ともより深いところで結びついており、この問題については数多くの研究がなされてきました。ごく簡単に言えば、「日本にキリスト教を根付かせることが、原理的にできない」という問題です。

「原理的に不可能」というのはこの場合、日本人はその文化的な背景(仏教的、儒教的、神道的、etc...)のなかで、「(複数の)神々」や「私たちを包み込む自然」という世界観のなかで暮らしているため、キリスト教の原理である「デウス(=唯一の神)」といった理念をそもそも理解することができない、ということを意味しています。

私たちは「神」をどこにでも、何にでも「宿る」ものとしてよく考えていますよね。

この映画のなかで宣教師たちが直面するのは、キリスト教を政治的な理由から排除しようとする幕府の弾圧だけではありません。

熱心にキリスト教を信仰しているかに見える日本の「切支丹」たちですらも、自分たちが布教する神の教えに馴染むことができない、その可能性に彼らは直面することになります。「こんなに熱心に布教しているのに! 彼らはキリストを誤解してしまう!」という具合ですね。

宣教師たちは、キリスト教の教えが全世界、あらゆる人々に受け入れられるものだと信じています。しかし、彼らが向かい合う現実はあまりにも神の教えの「普遍性」とはかけ離れていて、布教への熱意もすぐに絶望に変わっていきます。

宣教師を捉えた役人たちは彼らにこう言います。「キリスト教は日本には根付かない」、「日本は沼だ」と。キリスト教の持っているはずの普遍性が、単なる文化の違いも乗り越えられず、弾圧されて日本から追放されてしまう。そんなとき、彼らの信じる神は何も手助けをしてくれません。神は彼らがどれだけ苦しんでいても、ずっと「沈黙」を守ったままです。

これが、作品の大まかな内容です。スコセッシ監督はこうした内容を非常に印象的な描写で私たちに伝えてくれます。神の「沈黙」に宣教師たちがどのように向き合ったのか、それはぜひ劇場で確認して頂けたらと思います。

次のページからは、大雑把に映画『沈黙』の見所と、原作者・遠藤周作について紹介します。

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一等兵

一等兵です。日常の風景がより素敵に見えるような「視点」をみなさまに与えられるような記事が書ければいいのですけれど……。

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