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こんにちは、服部です。

日本史に出てくる「○○の乱」と「○○の変」、覚えるのが面倒ですよね。こんなツイートもいっときバズりましたが、御存知でしょうか。

我々QuizKnockもお世話になっている「ねとらぼ」さんの記事でも紹介されていましたが、パッと読んで例外が多すぎないかと感じました。例えば、以下のようなものです。

  • 「壬申の乱」 → 反乱側(大海人皇子)の勝ち
  • 「治承・寿永の乱」 → 反乱側(源氏)の勝ち
  • 「禁門の変」 → 反乱側(長州藩)の負け
  • この区別の仕方、合ってるんでしょうか……?

    歴史学者による説明

    「乱」と「変」ではどういった違いがあるのか、調べてみると、すでに歴史学者による有力な説明があります。学習院大学の安田元久氏による分類が有力ですが、読んでみると上の説明とはぜんぜん違います。

    安田氏は、「乱」と「変」の種類をそれぞれ2つに分けました。

    「乱」とは?

    ①政治権力に対する武力による反抗、すなわち叛逆事件
    承平・天慶(じょへい・てんぎょう)の乱(=平将門や藤原純友らによる反乱)、保元・平治の乱、大塩平八郎の乱など。

    ②政治権力の収奪による内乱状態
    壬申の乱、承久の乱、応仁・文明の乱など。

    「変」とは?

    ③政治権力者たる天皇・皇族、あるいは将軍などが獄逆・配流などに遭い、(一つの立場から見て)不当な立場に置かれた事件
    承久の変、正中の変、嘉吉の変など。

    ④政治上の対立による陰謀事件
    承和の変、応天門の変、鹿ケ谷の変など。

    差を考えてみる

    これらの分類、いったい違いはどこにあるんでしょうか。

    ひとまず②は大規模な内乱ですから、安田氏も「乱と呼称することには何らの疑問もない」と述べています。この構造を図にすると、以下のような具合でしょうか。

    国全体として勢力が複数に分裂し、武力衝突が起きた事件は、まず「乱」といえます。

    次に、①③④はいずれも「その時点での政治権力者側から見ての叛乱であり、また変事」であり、ふつうの内乱とは違って上下関係がはっきりしている点で②と異なります。

    これら3つをどう区別するか、安田氏は、一つには事件の規模の大小にもよるとしながら、次のように書いています。

    「①の場合には支配的政治体制の変革にも及びかねない叛乱事件を含むのに対し、④は何れも政治的支配層の内部におこった権力闘争であって、たとえ事件の発起主体が勝利を得ても、支配体制や支配権力の構造の上で大変革が期待されるといった性質をもっていなかった点に注意したい。」

    つまり、成功していたら体制のどんでん返しが起こるかもしれなかったのが「乱」(①)で、成功しても結局同じような体制が続いた可能性が高いのが「変」(④)といえます。

    これを踏まえて、①と④の構造を図にすると、以下のようになると考えられます。

    起こった争いの世の中にもつ影響力の違いが現れているとするのがこの説明であり、実際に成功したかどうかは関係ないということでした。

    また、残った③については、安田氏は「天皇・皇室あるいは将軍を絶対的権威とする観念が基本にあり、そこに生起した『不当なる凶変』として『変』が用いられたという、特殊な用法があった」と指摘しています。

    つまり、「天皇・皇室や将軍が不幸にあった事件は『変』とつけよう」という考え方があるのではないか、というのです。実際、「承久の乱」を「承久の変」と呼んでいた時期がありますが、これは内乱の実態よりも皇室を重視した呼び方ではないか、というのが多くの文献を調べた安田氏の研究結果です。

    まとめ

    ここまでの議論は、

    ・「国全体で分裂した勢力同士による内乱」は「乱」
    ・権力者への反抗のなかでも、「体制の変革がありえた大規模な反抗」が「乱」、「支配層の中で起きた権力争い」が「変」
    ・皇室や将軍が不当な境遇におかれた事件について「変」と名付けられたことがある

    とまとめられます。

    これを当てはめると、最初に紹介した例外についても矛盾なく分類できます。

    ・壬申の乱は、朝廷が2つの勢力(大海人皇子と大友皇子)に分裂して起きた内乱だったので「乱」
    ・治承寿永の乱は、支配層だった朝廷や平氏に対し、その外側から源氏が起こした反乱だったので「乱」
    ・禁門の変は、トップの地位を握りはじめていた公武合体派に対し、支配層の内側にいた長州藩が起こした反乱だったので「変」

    教科書がどの呼び方を採用しているかによって、「この反乱勢力は被支配層も含んでいたんだな」などの推測ができ、当時の実情をつかむヒントになりますね。

    また、歴史は見る立場によってぜんぜん印象が変わってきます。今回は安田氏の説明を紹介しましたが、これに矛盾する呼び方をしている書籍がどんな立場に立っているのか、考えてみるのも勉強になると思います。

    ◇参考文献
    安田元久(1984)「歴史事象の呼称について : 『承久の乱』『承久の変』を中心に」学習院大学文学部『研究年報』30号、145-167頁
    木村茂光(1988)「乱と変と役」歴史科学協議会編『歴史評論』457号、22-28頁
    武田忠利(1992)「歴史用語と歴史教育 -高校日本史教科書にみる呼称を中心に-」歴史学研究会編『歴史学研究』628号、34-46, 64頁
    「歴史用語における「変」と「乱」の違いについて」 -tukinohaの絶対ブログ領域

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    この記事を書いた人

    Kosuke Hattori

    東大経済学部を卒業しました。各記事が学びと発見への新たな入口になればと思います。よろしくお願いいたします。

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