数時間後、西武ドームは静寂に包まれていた。YES-NOクイズのあとは出演者によるパフォーマンスが行われ、雨雲を吹き飛ばさんばかりの盛り上がりを見せていたのだが、いざ雨雲が消え、所沢の森を美しい夕日が染め始めた頃、通過者全員が臨む筆記クイズが始まったのだ。 参加者は、決勝の切符をかけて、黙々と紙に向かう。別に余興のために来たわけではなかったが、突然の静寂は僕にとってまったく歓迎されたものではなかった。これでは、せっかくのお祭りを楽しめない。自分がいま、誰に勝っていて、どれくらいの立ち位置にいるのか、今すぐにでも知りたかった。
しばらくして、携帯電話が小さく鳴った。メールを開く。瞬間、心の晴れ間から光が差した。 メールはふたつ上の先輩・田村正資から。確かな手応えと、ある事実を伝える内容であった。 このときの問題が、前年にインターネット予選で出題された問題、つまり過去問といくらか被っていたのだ。 そして、その過去問は、まさに我々開成クイズ研究部が前日、蒸し返る教室の中でかろうじて手を出した、なけなしの対策のひとつだった。クイズもそこそこに歌広場へと向かう前の、まさに「そこそこ」部分が大ヒットしたのである。
僕は、誰も見ていない中で小さくガッツポーズをした。彼らの手応え以上に、自分の方向性が正しかったことが嬉しかった。 YES-NOクイズもできた。筆記クイズも対策を当てた。現段階で、すでに傾向を見抜けている。自分にとって、大きな大きな現在地確認だった。
ようやく、今日一日の苦労が報われた気がした。
なにせ、それを知るためだけに、出られもしない高校生クイズの予選を、ドームの外まで「聴きに」来ていたのだから。
中学3年生にとってはバカにならない交通費も、歩くたびに水が染み出す運動靴も、この自信を得るためのものだったのだ。
じきに、もう一通メールが届いた。田村のチームは、無事東京大会決勝へと駒を進めた。
◇
「中に入っていいよ。」 気のいいスタッフさんに声をかけられたのは、もう夕方になってのことだった。濡れた足元はだいぶ乾いていたから、雨宿りとして、ではおそらくない。 特に言葉は交わさなくても、優しさを十二分に感じた。時刻は19時過ぎ。決勝戦ともなると大方の参加者は帰路についているので、人を入れる余裕ができたのだろう。 案内されたのはバックネット裏、カメラに映らない範囲で、決勝の早押し台が最もよく見える特等席だった。なにやら恥ずかしくなって、お礼の声が小さくなってしまった。
東京大会決勝が始まった。大掛かりなセットの横でネットにしがみつく僕はしかし、野球少年ではない。なんならせっかくの特等席にもかかわらず、問題が読まれている時は目をつむっていた。 僕は、見物に来たわけではないのだ。ただただ、今日イチ聞き取りやすい問い読みの声に神経を集中させる。一問一問で、自らの実力を測る。1年後、16歳の自分を想像しながら、頭の中で早押しボタンを押していく。そのための今日だった。 ドームの外にいようが、中に入ろうが、自分の心はいまここにはない。 1年後の西武ドーム、ただその一点だけを、今日一日中ずっと見据えていた。
田村正資率いる開成チームが東京大会決勝を制し、バックネットの僕に近づいてきた。開成は昨年度の全国大会で準優勝。中高一貫である開成にあって高校入学組だけで結成した経験の浅いチームに、前年度の成績は重圧だったはず。それだけにみな、安堵の表情に満ちていた。 1ヶ月後、世はまさに田村フィーバーといった様相を呈するのだが、この頃は誰も、もちろん先のことばかり考えていた僕も、そんなことは想像の埒外であった。
全国へ進むチームもそうでないチームも、いよいよ開成みんなで帰ろうとしたその時、総合司会のラルフ鈴木さんが私達のもとに近づいてきた。お疲れの中、全国への激励を兼ねて、わざわざ全員にサインをしてくれたのだ。 ただただ感謝を述べることしかできなかったから、「来年は、僕がお邪魔します。」なんてセリフは、しっかりと心のなかに留めておいた。
心に留めた言葉は、心に誓った言葉だ。情報、想定、準備。今日、得たかったものは得た。先輩方と共に、僕も全国へのスタートを切る。 勝負は1年後。鍛錬の日々が、また始まる。
▲開成クイズ研究部の面々と、終了後に記念撮影。現在は3桁に届きそうな部員数も、当時は20名程度であった。
サムネイル画像提供:日本テレビ
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