アリストテレスと言えば古代ギリシャ最大の哲学者である。彼は「万学の祖」ともいわれるほど後世に大きな影響を与えた。哲学・自然科学・政治学・倫理学・形而上学など多くの分野で大活躍し、「古代ギリシャ最大の知性」とたたえられた。
しかし、どんなに優れた学者であったとしても、今から2000年以上前の人物である。その主張には現在からみれば間違っていると言わざるを得ないものも多い。
間違えることは仕方のないことだが、問題は、後世の人間がアリストテレスを信奉しすぎたことだ。そして彼の誤った仮説に固執したことによって、2000年もの長い間科学の発展が阻害されてしまったことである。
この記事では、万学の祖アリストテレスがどのような「あやまち」を犯したかを見ていくことにする。
天動説と地動説
ガリレオ・ガリレイが天動説に反対し、「それでも地球は回っている」と言った逸話は有名である。
中世のキリスト教世界観では、「地球は宇宙の中心にあり太陽やほかの惑星は地球を回っている」という天動説がドグマ、つまり「絶対の教義」とされ、「地球は太陽を公転する」という地動説を唱えたものは異端審問にかけられた。
天動説が絶対とされたのは、聖書の教義に沿うからというのもあるが、キリスト教の生まれる前、古代ギリシャでアリストテレスが天動説を主張した、というのが大きい。実際、古代ギリシャのアリスタルコスやフィロラオス、中世のニコラウス・クザーヌスらは地動説を唱えたが、彼らの主張はアルキメデスの後塵を拝して、認められなかった。
物体の落下速度
「重い物体と軽い物体を同時に手を離して落下させると、重い物体の方が速く落下する。落下の速度は物体の質量に比例する。」とアリストテレスは考えた。この考え方は素朴には正しそうで、長い間信じられてきたが、やはりガリレオ・ガリレイによって打ち破られた。
ガリレオはこの仮説を検証するため、高さ55メートルのピサの斜塔のてっぺんから200グラムの銃丸と50キログラムの砲丸を同時に落下させる実験を行った。結果は、砲丸の方がわずか5~6センチ先に落ちたに過ぎなかった。ガリレオは、このわずかな差は空気抵抗によるものだと考え、真空中ではまったく同時に落下すると推論した。
あらゆる重さの物体が同じ速度で落下する、というのは簡単な思考実験でも理解することができる。50キログラムの鉄球と100キログラムの鉄球があったとする。重い物体ほど早く落下すると仮定しよう。2つの鉄球を糸でつないで落下させると、100キログラムの物体の方が50キログラムの物体より早く落下しようとするから、両者はひっぱり合って結局それぞれ単独で落下させたときの間のスピードで落下するだろう。
一方で、次のように考えることもできる。50キログラムと100キログラムの物体をつなげて落下させたのだから150キログラムの物体を落下させるのと同じだろう。したがって、100キログラムの物体を落下させるより速く落下するに違いない。
このように、2つの矛盾する結論が同時に出てしまったのは、そもそも仮定が間違っているからである。したがって、すべての物体は同じ速度で落下する。
ガリレオはこの実験によって、「アリストテレスの権威の刃をむけた」かどで、務めていたピサ大学をやめざるを得なくなったという。
真空
アリストテレスは、「自然は真空を嫌う」と語った。つまり、何も存在しない状態は存在しない、ということである。なめらかな平板を互いに密着させると離れなくなったり、水がポンプを上昇するのは自然が真空をそのままにしておかないからだ、と考えた。
しかし、真空は存在する。1643年、ガリレオの弟子、トリチェリは真空と大気圧の存在を証明する実験を行った。
彼は、長さ1メートルの管に水銀を満たしてからふたをして、同じく水銀を満たした容器にその管を逆さにしてたてた後ガラス管のふたをはずすと、管の中の水銀は76センチの高さまで下がることを発見した。水銀が下がった部分は何もない真空である。
また、水銀柱の重さが容器にかかる空気の重さとつりあうことを説明し、大気圧の概念を生み出した。
天体の表面
アリストテレスは、「天体は完全な球形であり、その表面は平たんである」と考えた。
しかし、地球は自転の遠心力により、完全な球ではなく赤道半径6378キロメートルに対し、極半径は6356キロメートルと僅かにつぶれた形をしている。
また、月をよく見れば分かるように天体の表面は決して平たんではなく無数のクレーターにおおわれている。
地球も月も今から41億年~38億年前に多くの小天体の衝突を経験し、たくさんのクレーターが作られた。地球の表面には目立ったクレーターがないのは造山運動や河川の作用で隠れてしまっただけである。
自然発生説
生命はどこから来るのか? アリストテレスは、世界には生命の元となる、「生命の胚珠」が広がっていて、この生命の胚珠が物質を組織して生命を形作ると考えた。つまり、親のいない状況でも生命は自然に発生しうる、ということである。これを自然発生説という。アリストテレスはネズミやウナギといった動物さえ自然発生すると考えていた。
近代になっても、たとえばヤン・ファン・ヘルモント(1579-1644)という科学者は、「コムギの穀粒を入れた壺をぼろ布で覆うと、3週間後にコムギはネズミに変わる」と記している。
このヘルモント、決して怪しい学者ではなく光合成研究の草分け的存在として活躍し、気体を意味する「ガス」という言葉をはじめて使うなど、当時一流の科学者として名を馳せた人物だった。
自然発生説を否定したのは、イタリアのフランチェスコ・レディ(1626-1698)だった。
彼は、ウジの発生にはハエが卵を産みつけることが必要で、生命が自然発生しないことを実験的に示した。
このように、偉大なアリストテレスでもたくさんのあやまちを犯したんですね。今日正しそうに思われている理論も、100年後には新たな理論に敗れて捨て去られているかもしれません。
それでは本日のおさらいです。
参考文献
佐藤満彦 著(2002)『科学史こぼれ話』恒星社星雲閣