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 ご機嫌うるわしゅう、柳野とうふでございます。私もシンデレラガールズの担当アイドルであるところの浜口あやめちゃんについての話とかしてみたいです。

 さて、先日12月18日(日)まで、東京の根津美術館で「円山応挙(まるやま おうきょ)」が行われておりました。
 せっかくの機会ということでこちらを観覧してきたのですが、「実際に作品を見ると、有名な画家だけあってやっぱりスゴいなあ」といたく感動しましたので、今回はそんな円山応挙について紹介したいと思います。

2016-12-16-15-10-31 筆者が行ったときの記念撮影。雰囲気のいい美術館です。

 ところで、今年・2016年の展覧会と言えば、「江戸時代の画家の展覧会がえらく人気で、何時間も入場待ちが発生した」なんて話題があったのを覚えてらっしゃいますでしょうか? ゴールデンウィーク頃の……そう、伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)ですね。美術館のあった上野公園に大行列ができたなんて、すごい人気ですよねえ。

museum_of_the_imperial_collections_001 伊藤若冲『『群鶏図(動植綵絵)』(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)。若冲といえばニワトリの絵だが、今回は若冲のお話ではない。

 その若冲と同じ時期、同じく京都で活躍したのが今回話題にする応挙です。応挙は「写生」の画家として有名で、「円山四条派(まるやましじょうは)」という絵画の新しい一潮流を生み出した人でありました。
 では、何が彼を高校日本史の教科書に載るほどに偉大たらしめたのでしょうか。ざっくりと見ていきましょう。

  1. 応挙の生涯
  2. 「応挙と言えば!」な3テーマ
  3. 結局何がスゴイの?
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応挙の生涯

 円山応挙は1733年(享保18年)、京都の中心地から20kmほど離れた穴太(あなお)という村(現在の京都府亀岡市)の農家の息子として生まれたと伝えられています。
 ある程度大きくなると都に奉公に出されました。呉服屋での仕事を経て、尾張屋(おわりや)という玩具商に引き取られることになります。

 さて、当時の玩具商が扱っていた物品の中に、舶来の「眼鏡絵」というものがありました。これは西洋風の遠近法を使って描かれた風景画を、凸レンズ(要は大きな虫眼鏡ですね)を通して見るというシロモノで、まるで風景が絵の中から浮き出たように見えるということで面白がられたようです。応挙はこの真新しい画法で描かれた「眼鏡絵」にきっと興味を惹かれたことでしょう。後に「写生」を行うようになったきっかけが「眼鏡絵」にあったのでは、という人もいるくらいです。

 十代半ばを過ぎると、応挙は本格的に絵画を学ぶようになります。京都に住んでいた狩野派の画家・石田幽汀(いしだ ゆうてい)に弟子入りし、修行を始めるのです。
 狩野派といえば、室町時代に始まり武家の下で御用絵師として活躍した日本画の一大潮流。応挙はまずしっかりとした主流の画法を身に着けたわけです。

 幽汀の下で修行していたのは数年ほどだったようで、その後は実際の物や風景を写生したり、古い名画を摸写したりといった自己修行を重ねていったようです。30代になると円満院という寺院の僧・祐常(ゆうじょう)と交流しながら絵画理論を深めつつ、画風を確立していきました。そうして1795年(寛政7年)に亡くなるまで、画家として多くの注文を受け、作品を残したのです。

 

「応挙と言えば!」な3テーマ

 では、実際には応挙の作品を見ていきましょう。
 応挙は様々な画題を描いていますが、その中でも「応挙といえば」という画題を3つ挙げるなら、私は「」「仔犬」「幽霊」を選びます。それぞれ軽く紹介しましょう。

《雪》

okyo_pines_right 円山応挙『雪松図屏風』右隻(三井記念美術館所蔵)。国宝。

 再三言っているように応挙は「写生」ということで実物に見えるような描写を追求していたのですが、その中で私が惹かれるのは雪の描写です。応挙は積もる雪を、「白い紙の地を塗り残す」ことで表現します。画像の雪松図ではふんわりとした積雪が、境界のぼかしや薄く描きこまれた松葉によって見事に表現されています。

《仔犬》

okyo_puppies_and_convolvulus 円山応挙『朝顔狗子図杉戸』(東京国立博物館 応挙館)。かわいい。

 応挙を代表する動物題材と言えるのが仔犬です。丸っこい見た目に愛らしい仕草を備え、実際の仔犬のかわいさが存分に表現されています。今にも動き出しそうな1シーンを捉えているとは思いませんか?
 応挙の仔犬の絵は多く制作されたようで、このことから当時からこの愛らしい仔犬像は人気があったことがうかがえます。

《幽霊》

oyuki 円山応挙『幽霊図』(カリフォルニア大学バークレー校美術館所蔵)。これはモノクロ画像。

 もう一つ、有名な応挙のエピソードとして、「脚のない幽霊を初めて描いた」というものを紹介しないわけにはいかないでしょう。
 確かに作品は残っているのですが、この作品よりも前の時代の浄瑠璃本の挿絵に脚のない幽霊が描かれていることが確認されているので、この説自体はあくまで「そういう話もある」とか、「肉筆画として初めて」といった具合のもののようです。
 応挙自身の幽霊画はあまり残っていないのですが、このイメージは彼の弟子などに広まっていくことになったのです。

 

結局何がスゴイの?

 最後に。「結局応挙の何がそんなにスゴイの?」と問われれたならば、一言で答えると「日本絵画の視線に革命をもたらした」ことになります。
 応挙は人間の眼にどのようにモノが見えているか、どうしたら絵画が本物らしく見えるか、という「イリュージョン」を追求しました。つまりとても「リアルさのある絵」を目指し、実践した訳ですね。散々キーワードとして出した「写生」も、その重要な要素でした。同時に、それ以外の様々な流派の技法も取り入れて作品の完成度を高めています。
 さて、「見てリアル」なモノは理解しやすい、と言えるでしょう。皆様も「抽象絵画は何が良いのかわからないけど、写実画ならスゴさがわかる」といった経験があると思います。そんな経緯があって、応挙の絵画は当時の社会でも大いにウケ、その理念は弟子筋を通じて、あるいは絵のイメージ自体から広まっていきました。この後、明治時代以降の日本画でもベースとなる「実際の物に取材した本物らしさ」という潮流を切り開いたのが応挙だったのです。

それではおさらいをどうぞ。

◇参考文献
「円山応挙 ―「写生」を超えて―」展図録、根津美術館、2016
山下裕二・高岸輝編『日本美術史』美術出版社、2014
辻惟雄監修『全生庵蔵・三遊亭円朝コレクション 幽霊名画集』ぺりかん社、1995

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この記事を書いた人

柳野とうふ

東大で美術史学を専攻している東京大学OBです。マンガとか専門の本とかを読んでるときに「知らない単語」に出会った感動を共有したいがためにクイズを作ってるところが多分にあります。絵は見るのも描くのも好きです。

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