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近頃、世間では「最近の日本語は乱れている!」「正しい日本語を使え!」などの主張が声高に叫ばれている。

まったくのナンセンスだ、と思う。

そもそも日本語に限らず、ことばというものは常に変化している。中学や高校で習った「古文」と、いま我々が使っている日本語を比べてみれば、一目瞭然だ。たとえて言うならば、ことばは「生きている」。

それなのに一部の人々は傲慢にも、日本語のある側面だけを見て、それ以外のものを「乱れ」や「間違い」と切り捨てるのだ。まるで、動いている人間を前にしているにもかかわらず、彼あるいは彼女の似顔絵のみを真とし、目の前にいる本人を偽とするかのように。

もう一度言おう、ナンセンスだ。

ここであえて、「正しい日本語」なんて存在しない、と断言させていただく。それは勿論、先行研究を一概に否定するわけでも、文法や正書法をすべて否定するわけでもないことは、念のため表明しておく。ここで言いたいのは、日本語というものは、正しいか誤っているかだけでは判断できない領域を含む、ということだ。

だとすれば、テキトーに大雑把に日本語を使っても良い、ということになるかといえば、それは否である。ことばというものはコミュニケーションツールであるからには、自分自身の思い通りに使えるようにしておくべきである。一般に正しいとされている日本語を知っていなければ、「わざと」間違えることもできない。

「ナンセンス」の真意は伝わっただろうか?

この記事があなたにとって、普段あなたが使っている日本語について、少しでも考えるキッカケになることを願う。


皆さんこんにちは。初めましての方は初めまして。カワカミと申します。

毎週火曜日の連載「ことばの研Q」を担当させていただきます。何卒よろしくお願いいたします。

僕は、東京大学の文学部で日本語の研究をしています。研究といっても、まだ学部の3年生なので、先達の方々から見ると「シロウトに毛が生えた程度」かもしれません。

ですから、僕は皆さんに日本語を「教える」つもりはございません。どちらかといえば、皆さんと一緒に「究める」つもり、といったところでしょうか。

……あれ? と思った方もいるかもしれません。そう、「究める」なのです。「極める」ではありません。これらはともに「キワめる」と読みますが、意味は異なります。こういったものを「異字同訓」と呼びます。

一体どのように異なるのか、比較してみましょう。

【極める】限界や頂点に行き着く。「栄華を極める」「山頂を極める」

【究める】奥深いところに達する。「真理を究める」「学問の道を究める」

こうやって比べてみると、僕が「究める」を使った理由も分かっていただけるでしょう。この連載では、日本語の頂点を目指すのではなく、奥深くにある何かを探しに行くのです。

さて、長い前置きはここまでにして、クイズパートに入りましょう。今回は「異字同訓」についてです。選択肢の中から適切なものを選んでください。それでは、どうぞ!

どうでしたか? 勿論、すべて使いこなせるようになるのが理想ですが、もし意味の近い異字同訓の使い分けが面倒なら、いっそひらがなで書いてしまうという手もあります。勿論、皆さんがどのように日本語を使うのかは、皆さん自身が決めることですから、ぜひこれから自身のスタイルを確立していってください。その際に、この連載が少しでも役立てば幸いです。

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この記事を書いた人

カワカミタクロウ

東大文学部卒、東大クイズ研究会OB。

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