連載「伊沢拓司の低倍速プレイリスト」
音楽好きの伊沢拓司が、さまざまな楽曲の「ある一部分」に着目してあれこれ言うエッセイ。倍速視聴が浸透しているいま、あえて“ゆっくり”考察と妄想を広げていきます。
ほんとうは星と星はとても離れていて、それらを結ぶ線なんて存在しないと知ったとき、そりゃそうだという気持ちの中にわずかばかりの無念があったことを、折に触れて思い出す。
天界の星たちはなんらかのつながりと意志を持ってそこにあり神話の世界を形作っているというのは、思えばだいぶ人間の自己中心的な考え方なのだが、そうであって欲しいという気持ちは今もある。星座が広まったころの人々は、よりプリミティブなエゴでもって神話世界を夜空に描いたのだろうか、神の造形の偉大さをひたすらに讃えたのだろうか。
星々をつなぐ架空の線は科学の広まった現代でも生き残っており、なんなら星の位置を示す便利なものとして今なお科学的にも用いられている。いわば天空の番地として、その名を残しているのだ。
星空のロマンを詰め込んだ「花火」の歌詞
占いを含めて、星にどれほどロマンを感じるかは人それぞれだが、暗い夜空に輝く星々はシンプルに美しい。自然の中でロケをするときは、毎度星空の広がりに圧倒されている。
ただ、「キレイ」以上にはロマンチックになりきれぬのが自分の正直なところである。星座占いなどは「運勢を1/12に分割できるかいな」と、あまり真剣に見ることがない。ましてや、「星座にぶら下がる」という『花火』の歌詞には、どうしたって自力では到達できないだろう。オリジナルでかつロマンのある、素晴らしい歌詞だ。
夏の星座にぶらさがって 上から花火を見下ろして
こんなに好きなんです 仕方ないんです
夏の星座にぶらさがって 上から花火を見下ろして
涙を落として火を消した
aiko『花火』(作詞:AIKO)
もちろん、現実的には星座にぶら下がることなどできない。しかし、歌詞ではぶら下がった、と言っている。じゃあ、仮にそれが事実だとしたら、主人公はいったいどの星座にぶら下がったのだろうか。現在、星座はぜんぶで88個、つまり88択だと考えるとその特定は存外に簡単そうだ。気になる。シーツの中でこれを考えていたら星が消えるまで眠れないだろう。
花火を見下ろすのに適切な星座はいったいどれなのか。来年からはぜひ、混雑のない空の上から納涼といこうじゃあないか。
「ぶら下がれる星座」の条件は?
まず、条件を整理しよう。
この星座は「夏の星座」である必要がある。舞台を日本だと仮定した場合、オリオン座などは対象外だ。腕の形とかいい塩梅だったのだが。
そして、「上から花火を見下ろ」すことができる時間帯にぶらさがれる必要がある。星座は時間によって角度が変わるが、これは「ぶらさがる」上では重大なポイントだ。星座が一回転すれば、ぶら下がり続けることはたいへん困難になる。しかし今回は、花火大会をやっている時間、すなわち19時~21時ごろの様子を確認しさえすれば良いので、条件はだいぶ緩やかになるだろう。30°くらい回転しても大丈夫なら大丈夫、ということだ。
そして、星座はとてもでかいので、ぶら下がるにあたっては「円状に閉じている場所にフックを引っ掛けるのはNG」というルールでやりたい。鈎状のものは、宇宙空間においてふわふわと浮いてしまう恐れがある。宇宙の風に飛ばされてルララするのがオチだ。
つまり、細いひも状のループを通したとき、なかなか抜け出していかないような構造である必要があるのだ。あくまで「ループにした紐を通したとき、ひっかかりそうな星座」に絞って考えていこう。