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こんにちは、伊東です。

昨年(2022年)のカタールワールドカップで、ドイツやスペインを破りベスト16に進出したサッカー日本代表。9月10日にはドイツ代表、12日にはトルコ代表との国際親善試合に挑みます(いずれも日本時間)。11月からは2026年のワールドカップに向けた予選も始まり、来年(2024年)1、2月にはアジアNo.1を決めるアジアカップも開催されるなど、重要な試合が続いていきます。

そんなサッカー日本代表は、青色のユニフォームを採用しており、「SAMURAI BLUE」の愛称で親しまれています。

しかし、ブラジル、スペイン、アルゼンチンなど多くの代表チームがユニフォームに国旗の色を使っているのに対し、なぜ日本代表は日本の国旗にない青色のユニフォームを使用しているのでしょうか?

青いユニフォームになったのはいつから?

サッカー日本代表のユニフォームといえば、「」のイメージが定着していますが、いつから青いユニフォームになったのでしょうか。

日本代表のユニフォームとして青系の色が定着したのは、1930年極東選手権がきっかけとされています。ライトブルーのユニフォームで挑んだこの大会で、日本代表は国際大会で初優勝を飾ります(中国との同時優勝)。同じくライトブルーのユニフォームで臨んだ1936年のベルリン五輪でも優勝候補のスウェーデンを破る「ベルリンの奇跡」を成し遂げ、完全に青系の色が定着することになります。

ライトブルーが使われた理由には諸説ありますが、今回は2つの説を紹介します。

説1:東京大学のユニフォームの色を採用したから

1920年代の日本代表はユニフォームの色が定まっておらず、多くの主力選手が所属するチームのユニフォームの色が日本代表のユニフォームでも使われていました。

1930年の極東選手権の日本代表は、全15人のうち8人が東京帝国大学(現:東京大学)の学生で、1人が東京帝国大学OBでした。そのため、東京帝国大学のチームカラーであるライトブルーのユニフォームが採用されたとされています。

説2:青は「日本を取り囲む海の色」だから

1930年の日本代表は、東京帝国大学の選手が多かったものの、早稲田大学、関西学院大学、慶應義塾大学からも選出されており、当時としてはバラエティに富んだメンバーでした。そのため、ユニフォームの色を新たに決めるにあたり、「国土を取り巻く海」をコンセプトとしたユニフォームカラーを制定したともされています。

なぜ東大サッカー部のチームカラーはライトブルー?

日本代表の青いユニフォームのルーツかもしれない東京帝国大学ライトブルーのユニフォーム。では、そもそもなぜ東京帝国大学のチームカラーはライトブルーになったのでしょうか。

現在でも、東京大学のスクールカラーは「淡青(ライトブルー)」です。このスクールカラーの由来は、1920年に遡ります。

1920年、東京帝国大学と京都帝国大学(現:京都大学)のボート部が対戦した際、ライトブルーとダークブルーのボートが用意されていました。この際、抽選により東京帝国大学のボートがライトブルーとなったことがきっかけとなり、スクールカラーもライトブルーとなりました。

長い歴史を持つ日本代表の青のユニフォーム。これからもSAMURAI BLUEのさらなる躍進に期待しています!

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この記事を書いた人

伊東

東京大学大学院修士課程修了(工学)。クイズはもちろんのこと、スポーツ、みかんも好きです。よろしくお願いします。

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