コジマです。どうも。
『グラップラー刃牙』の烈海王は中国拳法の達人。その鍛え上げられた身体で、あるときは10トンの釣り鐘を叩き割り、あるときは数mの黒曜石を素手だけで完全な球に叩き上げる。ちなみにネットスラングの「私は一向に構わんッッッ!」は彼のセリフである。
そんな烈海王にこんなエピソードがある。
死刑囚ドイルとの戦闘中、何やかんやあって気を失った烈海王は、戦っていたはずのドイルに警護されていた。目が醒めるとそこには瀕死のドイルが仁王立ち。烈海王はドイルを治療するため、背中に担いで全速力で道場に連れ帰った……。
問題はこの中のワンシーンで、ドイルを担いだ烈海王は道中の川を前にして、「問題はない!!15メートルまでなら!!!」と川の上を走ったのである!彼曰く、片足が沈み切る前にもう片足を出すことを繰り返すことで水上を移動できるという。いやそうだろうけどさ。
烈海王の水上走りでは何が起きているのか?
「水の上を走る」という行為は、実際に中国に存在する。「水上漂」といい、板を縄でつなげたものを水に浮かべ、その上を走るらしい。
これは新記録が出たときの映像で、このときは水上を実に125mも走ることができたという。
原理としては烈海王のそれと同じだろう。板が沈み切る前に次の板に乗ってしまえば、沈むことなく前へ進むことができる。ただし、板が沈むのが遅いからできるのであって、普通に足が水に沈む時間で同じことができるとは凡人には到底思えない。しかも背中には格闘家の男を背負っているのだ。
流石に烈海王も難しいことは理解していたのだろう。走り出す前に「15mまでなら(できる)」と宣言している。さすがの烈海王もここでは謙虚。
この15mというのは、恐らく脚が沈みきって次の一歩が踏み出せなくなる限界なのだろう。体重が増えている分より沈みやすくなるので、それを加味しての15mという予想だと思われる。
なるべく脚が沈まないようにするには、足裏で水面をなるべく垂直に蹴って沈みに抵抗する必要がある。一方で、距離を稼ぐためには水平方向の推進力も要る。水上を走るには2つのバランスが重要になるだろう。
烈海王はどのように走っていたのか。作中の描写から、彼は川幅を10mと目算し、そこから700~800踏みで渡れると予測した。10mを750歩で進むなら歩幅は13cm。……13cm!?
烈海王は身長176cm、体重106kg。作中ではもも上げのごとく脚を高く上げながら走っていたが、それにしても13cmは身長に比べて短すぎないか。
水の上を走ったことがないので分からないが、水面は地面に比べて蹴ったときの衝撃が吸収されるので、垂直方向に蹴る力が想像以上に必要なのだろう。より垂直に蹴るため、もも上げのような運動になって歩幅が狭くなる。
水の上を走るためには、走るスピードだけでなく、それ以上に水面を垂直に力強く蹴るパワーと技術が要る。
……ここまで書いてきて、ちょっとあることに気付いてしまった。水の上を走らなきゃダメか?
要するに幅10mの川を渡れば手段は何でもいいのだ。例えば走り幅跳びの世界記録はマイク・パウエルの8m95で、(着地のことを抜きにすれば)10mにかなり迫る。超人的な能力をもつ烈海王なら、というか水の上を走るキック力の持ち主なら、助走をつけて跳んでしまったほうがいい気がする。
ただ、いろいろな出来事を経て、背中には瀕死の男を抱えた中での判断であり、冷静な判断が行えなかった事情は察する。あとこれはただの想像だが、瞬時に走れる限界の距離を見積もれたということは、水の上を走るのが得意で日頃からやっていたのだろう。多分。