しかし同時に、アファーマティブ・アクションは数々の問題点が指摘されています。 例えばアメリカでは、学力の面では合格水準に達していたのに、アファーマティブ・アクションにより不合格になった白人の学生が、これを不服として裁判を起こすケースが見られます。また様々な理由で、アファーマティブ・アクションにより利益を受ける立場の人々にも、反対者が多くいます。
まず、アファーマティブ・アクションにより不利益をこうむる層にとって、この施策は一見逆差別に感じられることです。歴史的な差別について知識がない場合もありますが、知識がある人にとってもそうです。 例えば、大学に入学できなかった白人個人によって、自らが白人に生まれたことはどうにも出来ないことです。頭では「アファーマティブ・アクションで差別が是正されるのだ」と分かってはいても、「もしアファーマティブ・アクションがなかったら……」という感情が湧いてしまうのを避けられないこともあるでしょう。 いくらアファーマティブ・アクションが暫定的措置だといっても、その学生がたまたまその是正期にあたり、不利益をこうむってしまったことは変わりません。「あなたは前の世代が歴史上行ってきた悪行を償う義務がある」などと言われ、「自分が生まれる前に起きたことで関係ない」と激怒する人もいるでしょう。
一方で、利益を受けた側(ゲタを履いた側)も、同様の理由から不快感を持つことがあるでしょう。また入学・就職後、その人が懸命に努力を積み重ねて素晴らしい能力を獲得しても、「あいつの能力はアファーマティブ・アクションに助けられて得たものだ」と社会的にすり替えられてしまう恐れがつきまといます。
以上のメカニズムを繰り返すと、アファーマティブ・アクションにより利益を受ける側・不利益をこうむる側の間に、以前はなかったような新たな対立が生じてしまうかもしれません。こうなってしまうと、社会から歴史的差別による不利益をなくすための暫定的な措置だったアファーマティブ・アクションが、逆に従来の性別・民族・人種ごとの対立を固定し、いつまでも長引かせ、社会を分断してしまう可能性すら出てきます。
また人間は、他にも様々な点で不平等な存在です。民族・人種・性別のほかにも、両親が裕福かどうか、地方に生まれたか都会に生まれたか、生まれた時代が不況だったか好景気だったかといった要素があります。こうした社会的不利益は是正すべきですし、様々な是正策があることでしょう。そして人によっては、こうした特徴の方が強力に不平等を生み出しているので優先して是正すべきものであり、アファーマティブ・アクションは民族・性別・人種といった一部の不平等を強調しすぎていると思われることでしょう。
こう話を進めてくると、さらにラディカルな疑い方も出来ます。 そもそも、頭の良さ・運動神経・性格といった、普通は属人的だと考えられている要素だって、本人には操作できない偶然の特徴であり、本来であれば是正されるべきものなのではないか、という考え方です。ここまで疑いが深まると、社会的競争において人間を平等に扱うことは不可能なのでは、ある程度の不平等は覚悟して現行の是正で妥協すべきでは、という意見も出てくることでしょう。
長い寄り道お疲れ様でした。再び東大のニュースに戻りましょう。
ある意味、今回のニュースで起きた議論は、驚くほどアファーマティブ・アクションをめぐる議論に逐一対応しています。
まず、東大に入学する女子の数が少ないのは、女性に対する社会的な差別が根強いのではないかという推測があります。「女性に高度な勉学は必要ない」「女性は仕事におけるキャリアを追求する必要はない」「女性は親元・地元を離れるべきではない」といった社会通念があった場合、女性が東大に通学する場合の金銭的負担が大きいと、両親・親戚・高校教師など周囲の人々が、東大入学をますます反対するかもしれません。そこで、住居を用意し家賃を一部負担すれば、そのような女子学生の東大への来やすさが上がるのではないかと思われます。
これに賛成する人々の意見としては「女性差別は根深く社会に残っているので、こうした特別な暫定措置により、女子学生と男子学生の真の平等を実現できる」「女性は社会的に差別されてきたのだから優遇されてよい」「男女比が歪んでいるのは教育上よくない」「女性の逸材を無駄にしなくてよい」といった意見があります。
一方で反対する人の意見として、「男子学生への完全な逆差別だ」「自分は女子学生だが、自分の努力がすり替えられたような気がする」「Facebookで男性vs女性の戦争が起こった」「金銭的に厳しい環境にある学生が増え、仕送りの額が減少している今、そうした人を男女関係なく援助する方が最優先ではないか」「そもそも人間を完全に平等にすることは無理」といった意見がありました。男子学生が入れる寮に関して値上げ騒動が持ち上がっていたタイミングでの発表だったことが、こうした意見を強めました。そもそもアファーマティブ・アクション自体を知らない、もしくは女性差別の存在を無視していると思われる意見も多く見かけました。
こうした面では、アメリカの大学入試や、女性の就労をめぐって起きてきた議論がそのままの形で繰り返されたのです。
一方で、今回のニュースには、上で取り上げてきたアファーマティブ・アクションのケースとは違う点が3つ見いだされます。
まず1つ目です。アメリカの大学入試との一番大きな差は、今回の女子学生優遇が、入学試験の方法の変更ではなく、入学後の金銭補助であることです。 つまり、入学選抜自体は従来通り筆記試験により行われ、点数に下駄がはかされるわけでも、女性枠が設けられるわけでもないのです。あくまで実力はペーパーテストではかるので、それ以外の社会的障壁を取り除きたい、学力の上位をそのまま入学させたいという意図が見えます。こうした相違点により「今回の措置が、そもそもの目的である女性差別の是正に効果があるのか?」という疑問が生じました。
金銭的には裕福で家賃にも困っていないが、女性に対する差別的通念のために「東大に行かせたくない」と考える家庭に、今回の施策は通用しません。
そもそも社会の構造自体を変えないと、今回の施策で東大が望むような女子学生の増加は得られないかもしれません。 現在、東大の受験生は、早い人は小学生から、遅い人でも高校生から特殊な受験勉強をしてきた学生が多いと思われます。そうした受験生の時点で、既に男女の人数の歪みが生まれているのだったら、家賃補助をしても意味がないかもしれません。また、卒業後の出口となる就職で、女性が高学歴を得てもキャリアに乗れず冷遇され、「家庭に入る」のが最適な選択肢とされている状態が続けば、いくら女性が入学しやすくなっても学生数は増えないでしょう。
唯一有効かと思われるのは、「こんなにも東大は女子学生に来てほしいと思っている」という宣伝効果・一種の炎上商法かもしれませんが、トータルで見たときにスマートな作戦かどうかは熟考すべきでしょう。
また、大学に金銭的負担がかかる施策である点が、やや特徴的です。大学の財政が厳しい昨今、スマートでない金銭の使い方には批判が集中することになり、「研究費が削られるなか、貴重な金をそこに回していいのか」という批判も出てくるでしょう。
次に2つ目です。東大が女子学生を増やすことにより、男女平等の達成に加えて、どのような利益を目的としているのか不明瞭であるということです。アメリカの大学のアファーマティブ・アクションなら、多様性(ダイバーシティ)を実現しより良い教育環境を作ることを掲げているところが多かったのですが、そのような意図があるかは不明です。
最後に3つ目です。肩すかしとも呼べるような話ですが、東大は女子学生専用の寮「白金寮」が数年前に廃止され、以後そのままになっています。今回の件は、その穴埋めの可能性がなくもありません。
今回のニュースについては、世間一般におけるアファーマティブ・アクション、その目的と欠点についての認知度がまだ十分でなかったことは否めません。 一方で、今回の東大の発表がアファーマティブ・アクションと呼べるのか非常に微妙で中途半端なものだったため、目的に対する有効性を測りかねるものであったこと、今後も有効性についての注視が必要であることも間違いありません。
我々としては今回の件を機会に、性別による差別を社会からなくすことについて、真の平等とは何かについて、真摯に考える必要があると思います。アファーマティブ・アクションという上段からの差別是正制度は、あくまで我々の意識レベルで根元からの変革を起こすため、暫定的に設計されるものなのです。これは私見ですが、逆差別とだけ捉えてしまうのは一面的過ぎると思います。