11月15日、東京大学が発表したニュース「女子学生向けの住まい支援」がちょっとした議論を巻き起こしました。 来年春に入学する遠方からの女子学生を対象に、キャンパスに近い住居を大学側が用意し、所得に関係なく月額3万円の支援を行うというものです。
背景として、東大には女子学生が極端に少ないことがあげられます。入学者に占める女子学生の割合は、毎年20%弱ほどです。ちなみに、海外の大学は男女比がほぼ1対1のところが多くなっております。国内の大学はそれに及びませんが、それでも30%前後の女子がいるところが大半です。 東大の女子率は、総合大学としてはかなり低い数字なのです。 大学側はこの状況を何とか改善し、女子学生を招こうとして、今回の措置に至ったものと思われます。
これに対して、各所で賛否両論が巻き起こります。東大生の一員として、私もこの話題はかなり気になりました。ネット上の意見を流し見するうちに、このニュースは東大だけの事件ではなく、様々な他の社会問題に絡んだテーマであることが見えてきて、考えさせられました。
その中で、「この話はアファーマティブ・アクションに似ている」という声が聞かれました。 さて、アファーマティブ・アクションとは何でしょうか? どういう制度で、どういう問題が起こっているのでしょうか? それが分かれば、今回の東大のニュースと比較でき、類似しているところ・違うところがあぶり出され、このニュースについてより見通しがよくなるのではないでしょうか?
ということで、まずは、「アファーマティブ・アクション」について調べてみましょう。その目的・問題点について考えます。その後で、東大の問題についてもう一度考えてみましょう。
アファーマティブ・アクションは、日本語では「積極的格差是正」などと訳されます。 その意味を一言でいうなら、黒人・少数民族・女性など、歴史的に差別され、現在も不利益をこうむっている社会集団に対し、就職や教育において有利な措置をほどこすことです。
典型的な例は、大学への入学選考です。アファーマティブ・アクションが最初に始まったアメリカにおいて、大学入試では、学力テストに加えて高校での成績、課外活動、スポーツ、家庭状況、エッセイなどを総合的に選考されます。この際、上記の社会集団の志望者であることが入学にプラスにはたらくことがあります。また州立大学であれば、州の民族ごとの人口比と、学生の民族ごとの人口比が同じになるように、学生を採用したりします。
東大のニュースは女性に対してのものだったので、男女共同参画を目的としたケースも見ておきましょう。この文脈では、アファーマティブ・アクションにあたる施策に対し、「ポジティブ・アクション」という言葉が使われることが多いようです。
日本は、女性への職業上の差別が、他先進国に比べて残存しているといわれます。世界経済フォーラムが2015年に発表した女性の社会進出度ランキングでは、日本は145カ国中101位となっています。原因としては「女性は職場で働くよりも、すぐに結婚して家庭を担当するべき」という社会通念が根深く残っていること、キャリア形成における制度上の間接的差別、男女間の賃金格差、保育園の不足などが挙げられます。
これを是正する方法として、様々なポジティブ・アクションが存在します。 例えばかつての諸外国では、社会通念を変えて女性の政治進出を果たすため、国会や地方議会の議席に男性枠・女性枠を作ったり、立候補者に占める女性の割合を一定以上にするよう義務づけたりといった措置がなされてきました。日本では様々な法律により、職場における性別での差別待遇が一切禁止されました。それに加えて、営業職に女性がほとんど配置されていない場合・課長以上の管理職の大半が男性の場合に限り、差別解消のための積極的な女性登用・優遇を行うことが認められました。
アファーマティブ・アクションの擁護論としては、様々なものがあります。
最もメジャーな擁護は、真の平等を達成することです。
大学入試・就職などの「社会の競争」において人間を平等に扱うとは、どういうことでしょうか。真っ先に思いつくのは、各人に不要な介入を一際せず、自由に能力を伸ばさせ、単純に能力順に採用するアイデアでしょう。 現実の社会が公正ならそれで問題ありません。しかし、黒人・少数民族・女性といった集団への差別は社会の中に根深く残存しており、各人がどの社会集団に生まれたかによって、能力を伸ばすのに有利な環境と不利な環境に分かれてしまいます。そこで、社会の状況を鑑みた適度なアファーマティブ・アクションによって、各人の真の潜在能力と可能性を見極め、平等を実現しようとするのです。
わかりやすいたとえでいうとこういうことです。
Ⅰ.今、限られた枠をめぐって陸上競技でレースをしようとしています。昔は身分制度などにより、皆スタート地点がばらばらでしたが、今日の社会ではスタートラインは皆同じ場所にそろえてあります(生まれた時点)。 Ⅱ.スタートラインが同じなのだから、単純に早くゴールし良いタイムを残した方が枠を取るという考え方もあるでしょう。しかし、各人が走るコースは全く異なります(社会に残る集団への差別、生育環境の違い)。ある人はまっすぐなコース、ある人はアップダウンがあるコース、ある人は一面の砂に足を取られるコースです。 Ⅲ.そこで、タイム単独では各人の能力が測れないと考え、一面の砂コース・アップダウンコースを走ってきた人のタイムに対しては下駄をはかせて考慮しよう、というのがアファーマティブ・アクションです。
もちろん、社会状況が改善され、差別がなくなる(各人が同じコースで走るようになる)と、アファーマティブ・アクションは緩和されたり、廃止されたりすることになります。アファーマティブ・アクションは、結果における事実上の平等を促進するためのものであり、あくまで暫定的な特別措置です。
次に挙げられるのが、過去または現在に差別を受けた集団に対する償いとして、アファーマティブ・アクションを正当化することです。この考え方では、歴史を通じて存在する1つの法人のような存在として、社会集団が捉えられています。個人はそのメンバーで、過去のメンバーが犯した差別について償う義務があるとされます。
他に、様々な実用上の利益を考えて擁護することもあります。
アメリカの大学入試においては、多様性(ダイバーシティ)を確保することで教育効果があがるとされます。学生数における民族比・性別比があまりにもいびつで、社会のそれと大きく異なっている場合、学生の教育において悪影響だと考えられます。また、多様なバックグラウンドの学生がいることで、学生は自らと異なる立場の人々と日常的に接することが出来、話し合うなどして成長することが出来ます。
男女共同参画の文脈においては、女性が不当な待遇で働いたり退職させられたりする状況を改善し、女性が仕事でキャリアを築きやすくすることで、今後の少子高齢化社会において深刻化すると予想される労働力不足を緩和することも出来ます。
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