こんにちは。豊岡です。
1月から2月にかけて、世の中の学生はテストを受ける機会が増えます。受験生はセンター試験や二次試験を、大学生は期末試験を受けていることでしょう。
大学生の期末試験といえば、必ず現れるのが「落単詐欺師」です。今、私が勝手に命名しました。「落単」とは、主に期末試験の著しい不出来により、単位を落とすことを意味する略語です。高校までの「赤点」と同じようなものです。
落単詐欺師たちは、テスト前には「勉強してない」「睡眠不足だ」「部活・サークルで忙しくて対策できてない」などと騒ぎます。テストが終わると「全然出来なかった」「単位落としたの確定」「もう留年しかない」などと、より大騒ぎします。そして落ち込んでいるそぶりを見せます。
しかしいざ結果が発表されると、落単詐欺師たちの多くが、実際は単位を取れていたり、合格していたりするものです。それどころか、しれっと良い成績をおさめていることも多いように見受けられます。結果だけ見れば、彼らは嘘をついていたことになるわけです。実際は、他の人に比べれば相対的に勉強していたし、結果も良かったわけですから。
一方で、本当に成績が悪く、落単している人たちの多くは、期末試験の前も後も無言です。落単した人たちは、テストの結果に触れないように日常生活を送り、人知れずひっそりとしています。そして結果発表後、ある者は自らの深刻な結果にダメージを受け、ある者は悟ったように堂々としています。
本当に落単する人たちは、落単詐欺師たちにイライラし、憎しみの感情すら抱いています。「お前らは我々よりはるかに成績良くて、現に単位を落としていないし、その可能性も低いのに、どうして大騒ぎして悩んでいるのか?じゃあ我々は何なのか?」という気持ちになるわけです。また落単していない人でも、自分より成績が良い落単詐欺師に対しては、かなりの不快感を抱くことでしょう。この事実が眼中に入っていない落単詐欺師は多いと思われます。
ここまで、大学生活の期末試験を中心に書いてきましたが、先日終了したセンター試験をはじめ、大学受験でも似たような光景がみられることでしょう。
今年のこの時期も、SNS上で「今回全然勉強してない」「テスト全然出来なかった」「落単確定した」「留年濃厚」などの発言を観測できました。それに対する、本当に成績が悪い人たちからの恨みや憎しみの声も観測できました。
私はそれを眺めながら、どうして悲劇は繰り返されてしまうのか考えました。なぜこんなにも多くの落単詐欺師が生まれるのでしょうか。特に、落単とはほど遠い好成績を残す詐欺師たちは、一体全体どういうメカニズムでそのような言動をしてしまうのでしょうか。この疑問を考えてみます。
セルフ・ハンディキャッピング?
落単詐欺師たちの言動を説明するにあたっては、よく「セルフ・ハンディキャッピング」が持ち出されます。
セルフ・ハンディキャッピングとは心理学で使われる概念です。セルフ・ハンディキャッピングする人は、何か行動するにあたって失敗への不安を感じると、自分に不利な条件をあらかじめ作っておいたり、周囲から見つけ出したりします。自らにハンデを課すわけです。そうすることで、もし失敗したら「ハンデのせいだ」と言い訳できます。成功したら、ハンデにも関わらず成功したと誇れるかもしれません。こうして、いわば予防線を張っておくことで、失敗に対する不安をやわらげることが出来るのです。
セルフ・ハンディキャッピングは、試験前に「今回全然勉強してない」「部活が忙しくて対策できなかった」と騒ぐ行動を説明するのにぴったりです。今から試験を受ける人は、「失敗したくない」「頭が悪いと思われたくない」という不安に直面しています。
試験前にそのように騒いでおけば、試験の出来が悪くなったとき「今回は全然勉強できなかったからだ」「今回は部活が忙しくて時間がなかったからだ」と言い訳できます。万が一試験の出来が良ければ「準備不足だったのにすごいね」と褒めてもらえるかもしれません。つまり、彼らは試験への不安のあまり、半無意識的に事前に言い訳してしまうのです。
しかし、セルフ・ハンディキャッピングだけでは、落単詐欺師たちのテスト前の言動は説明できても、テスト後の行動を説明できないように思います。というのも、彼らがテスト終了後に騒いでいるのは、勉強量とか対策時間とかテストに臨む上でのハンデについてではなく、自分のテストの出来自体についてだからです。
また、テスト前にセルフ・ハンディキャッピングをし、自分の準備不足を宣伝しまくった人が、話のつじつまを合わせるために「出来なかった」と言う例はあるかもしれません。しかし、テスト前のセルフ・ハンディキャッピングをしないのに、テスト後に騒ぎ始める落単詐欺師も多く存在します。
このように考えると、やはりセルフ・ハンディキャッピング以外にも原因があると考えるべきです。
落単詐欺師のタイプ別分析
そこで、落単詐欺師の生まれるメカニズムについて、3つのタイプを考えてみました。
①傷つかないよう予防線を張る
自分が成績発表に対して傷つかずに済むよう、過去の経験から予防線を張ることに決めているのかもしれません。
過去の経験から、単位を落とした場合、その人は、自分がかなりのダメージを受けることを予想しています。そこでテストが終わった後、手応えに関係なく、とりあえず「全然出来なかった」「単位落としたかも」と最悪の結果を言うことにあらかじめ決めておくのです。そうすれば、それ以上悪い結果はありえません。どんな結果に対しても心の準備が出来るので、成績に対して過剰にダメージを受けずにすみます。結果発表までの不安も減らすことが出来ます。この辺の事情は、セルフ・ハンディキャッピングと非常によく似ています。
このタイプの詐欺師たちが足を洗うには、予防線の張り方をよりマイルドにするのが良いでしょう。例えば、必ず「手応えはまあまあだ」「解答に必死で手応えは分からなかった」などと言うようにしてみてはどうでしょうか?
②謙虚な人に思われるための演技
他人から「傲慢な人」「自慢している」と思われないために演技しているのかもしれません。
テスト終了後、自分の手応えについて正直なことを言うと、手応えが自分より悪かった他人を嫌な思いにさせる可能性があります。この辺の事情は、その人の所属している社会で、何が美徳とされているかにもよるでしょう。
例えば、「謙虚さ」「控えめ」「へりくだり」などが美徳とされている社会では、たとえ自分のテストの出来が素晴らしいものだったとしても、それをその通り宣言することは好ましくない行為とされるでしょう。仮に控えめに「全部出来たと思う」と言ったとしても、「あいつうざいな」「自慢かよ」と陰口をたたかれるかもしれません。
以上のように、他人の目を気にして、本当は好成績や単位取得を確信しているのに、わざと「出来なかった人」を演技しているのかもしれません。「出来なかった」という共通項で盛り上がることに、コミュニケーションの楽しみを見いだしている可能性もあります。
社会の中で生きている人間は、必ずしも常に思ったことを全て言うわけではありません。他人から見た自分の印象を意識し、悪いものにならないように気をつけながら、大なり小なり演技して行動しています。
特に、日本社会は「タテマエとホンネの文化」だと言われ、言葉に出た内容と本音がかけ離れていると噂されます。海外の事情を調べて比較したわけではないので、全く根拠のない通俗的発言ですが、もし日本社会に「テスト出来なかった」発言が飛び抜けて多いのだとしたら、こうした事情に起因しているのかもしれません。
「正直に発言すること」がこの上ない美徳で、落単詐欺師たちが「嘘つき」として信用を失うような社会であれば、自己卑下の演技をする人は減るだろうからです。
このタイプの詐欺師たちが足を洗うのは、社会や文化の問題も絡んでくるので難しいといえます。しかし、堂々と嘘をつくことはあまり褒められたものでないのも事実。気心の知れた友人の間では、徐々に正直な手応えを語るようにしていってもいいのではないでしょうか?
③自虐的なネガティバー
普段から自虐的な人、何についてもネガティブに考える性格の人がいます。そうした性格の人は、常に「どうせ自分なんて…」という気持ちで過ごしているため、何に対しても正確な自己評価が出来ていません。
ネガティブな人は、テストが終わった後、自分の答案の間違えた部分や不出来な部分ばかりに注目してしまい、大多数の出来た部分に対して目を向けません。そうしているうちに、テスト全体が出来なかったように思えてきます。
また、自分が出来たと思っている問題も、単に自分がそう思い込んでいるだけで、実際は間違えているのではないかと際限なく疑い、不安を膨らませていきます。また、他人の能力を不当に高く見積もってしまったり、完璧主義の傾向を強めたりして、ますます不安になります。
彼らは本当に「全然出来なかった」「単位落とした」「留年する」と思い込んでしまい、圧倒的な不安の感情に押し流されるままに性急な結論を発信してしまいます。
このタイプの詐欺師が足を洗うには、普段から、自分の能力に対して適度な自信を持つようにするべきでしょう。また、周りの人々をよく観察するのもよいでしょう。
まとめ
ここまでの話の流れをまとめておきましょう。落単詐欺師の行動のテスト前の言動は、セルフ・ハンディキャッピングで説明できます。しかしテスト後の言動は、それだけでは説明できません。テスト後の言動のメカニズムとしては、①傷つかないよう予防線を張る、②謙虚な人に思われるための演技、③自虐的なネガティバー、の3タイプが考えられます。
度を超した「落単詐欺師」っぷりを日常的に発揮していると、ある日突然、人間関係に思わぬヒビが入ってしまうことがあります。それをSNSに書き込むなら、なおさら危険度は上がります。皆さんも、自分がどのタイプの詐欺師かに気を配りつつ、徐々に足を洗っていきましょう。
以上、落単詐欺師に対して批判的に書いてきましたが、実はこの記事は私の懺悔でもあります。というのは、私は昔、典型的な「自虐的なネガティバー」タイプの落単詐欺師だったからです。今もその気があるかもしれません。
私は、詐欺師たちに脱詐欺の方向を是非とも目指してほしいですが、彼らのことを無限に糾弾する意図はありません。ちょっとした自らの不安に駆られたり、ちょっとした世渡り術を実行したりするうちに、人間は意外と簡単に落単詐欺師になれてしまうのです。正確な自己評価、ほどよい自己呈示は誰にとっても難しいものです。
「私は落単詐欺をしたことはないし、これからもない」と思う人たちは、どこかに思いやりの心を持ちつつ、落単詐欺師に石を投げてください。