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ランドマーク税理士法人

こんにちは、服部です。

街中でよく郵便ポストを見かけますね。クイズっぽい話をすれば、正式名称は「郵便差出箱」です。

最近ではメールやSNSの発達により、手紙を送る必要性が失われつつあるものの、ポストはまだまだ身近なものでしょう。かくいう大学4年生の僕も、就職活動の時期には一部の企業に宛てて紙の履歴書を投函しました。

そんな身近なポスト、当たり前のように赤いのですが、「ポストはなぜ赤いのか」と聞かれたら、みなさんは答えられますか?

さくっと結論

ポストが赤色になったのは、逓信省(かつて郵便を管轄していた省)が「人々がポストとわかりやすいように赤色」にすることを定めたという、とてもシンプルなものです。

しかし、「わかりやすいように」する必要が生じたのにも理由がありました。そもそも、誕生したばかりのポストは赤色ではなかったのです。

ポストの変化とともに、歴史をたどっていきましょう。

初期のポストとトンデモ事件

日本で郵便制度が始まったのは明治時代。1871年ごろに最初に設置されたものは木がむき出しの簡素なのもので「書状集箱」などと呼ばれていました。翌年以降、郵便制度が全国に広まるにあたり、黒のペンキで塗ったものに切り替わっていきました。

しかしこの黒塗りのポストは、夜や雨の日などには目立たずわかりにくいものでした。また、「『郵便』を『垂便』と読み違えて中に排泄していった人がいた」「爆竹が突っ込まれる放火事件が起こった」など、当時の治安を疑ってしまうようなトンデモ事件も発生していました。

新デザイン案の募集:初の赤いポストが誕生

そこで逓信省は、ポストの新デザイン案を募ります。1901年には有力な設計案を大都市に試験設置。東京では、日本橋の北側に俵谷高七氏のものが、南側に中村幸治氏のものが設置され、これらが「日本初の赤いポスト」とされています。

中村氏は、回すと入れ口が現れて投函できる仕様の「回転式ポスト」を考案しました。(画像は回転式ポスト)しかし、故障が多くメンテナンスしづらいなどの理由から、現在のような庇(ひさし)付きの簡素なものに入れ替わっていきました。

この試験設置などによる調査を経て、1908年の通達で、新しい「赤色・円柱型・回転式差出口」のポストが正式に定められました。

なぜ赤色と定めたのか

上に述べた1908年の通達では、「朱色ペイント」と定められたのみで、その理由についてはわかりません。

後の1910年に出される「逓信省年報」に、以下のような記述がみられます。

従来ノ郵便函ハ構造不完全ニシテ盗難予防、郵便物収容、使用耐久、道路障害等ノ関係上幾多ノ不便アリ
多年研究ノ結果内外ノ構造ヲ改メ円形柱函ト掛函ノ二種ト為シ孰モ鉄製トシ且公衆ヲシテ認識シ易カラシムルタメ特ニ朱塗トセリ
而シテ円形柱函ハ枢要ナル都市ニ設置シ他ハ掛函ニ改ムルコトトシ四十一年十一月七日ヨリ施行セリ

出典:『逓信省第廿三年報』(1910)

つまり、「人々がポストとわかりやすいように赤色にした」とのことです。このポストには他にも、「通行の邪魔にならないように角をなくし丸型にした」「火事の心配がないように鋳鉄製にした」といった工夫が施されました。

ところで、この「逓信省年報」が出たのは1910年。2人による赤色ポストが試験的に設置された数年後のことです。1901年より前に、2人に依頼する段階ですでに「赤色」という指定があったとする説もあります。

このため、「目立ってわかりやすいから」というのはひょっとすると後付けなのかもしれません。

赤と定めた理由を考える

では、逓信省の人々がポストの色に赤色が選んだ真の理由は何でしょうか。郵便の歴史から推測した結果として、以下の2説を提唱します。

・もともと「郵便=赤」のイメージがあった。

そもそもポストや「〒」マークができる以前から、人々の間で「郵便といえば赤」という認識が広がっていたのではないか、という説です。たとえば、日本で郵便事業が創業された当時の配達員の制服には、赤い刺繍がつけられていました。

袖口に郵便徽章の「丸に一引き」の印があり、隣の郵便旗は紅白です。馬に引かせた荷車が赤色に塗装されていたことも、当時の絵巻物などからわかっています。

明治時代に最初に作られた郵便のマークは赤色だったのです。このマークがなぜ赤色だったのかも、やはりよくわかっていません。「江戸時代の飛脚が赤いふんどしをつけていた」などの事実はありますが、郵便のマークとの関連は示されていません。

ともあれ、逓信省の職員が「逓信省のマークは赤」ということから、ポストを設計した二氏に「赤くしよう」と伝えたということが、まず一つ考えられます。

ちなみに、「〒」マークが定められたのは1887年。逓信省の頭文字の「テ」をあしらったものです。これは有名ですね。

・イギリスの赤いポストをまねた説。

日本の郵便制度は、イギリスに留学した前島密が中心となって整えました。前島がイギリスで見た赤色のポストを模倣して、逓信省が赤を指定した、とも考えられます。

ちなみに、フランスやドイツなど、ヨーロッパの大陸側の国々の多くは黄色いポストを設置しています。これは、「16~18世紀ごろに郵便を独占した豪族・タキシス家が使った、プロイセン王家の紋章にあった黄色」に由来するとか、「郵便の使者が通ることを知らせたホルンの色」に由来するといった説があります。そのほかにも、世界各国で様々な色のポストが使われています。

おわりに

というわけで、逓信省の職員は、何らかの理由で赤色で設計するよう俵谷氏と中村氏に依頼。試験設置の結果がよかったので、「見やすい」という理由をつけて正式採用した、というのが推測される流れです。もちろん、初めから「赤色にすれば見やすいんじゃないか?」という発想があったのかもしれません。

東京スカイツリーと直結している「東京ソラマチ」には、「郵政博物館」という郵便の歴史をたどる施設があります。この記事内で紹介している写真は、そこで撮影したものです。歴代のポストや世界各国の切手など、貴重な資料がたくさん展示されているので、興味のある方はぜひ訪問してみてください。

参考文献
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この記事を書いた人

Kosuke Hattori

東大経済学部を卒業しました。各記事が学びと発見への新たな入口になればと思います。よろしくお願いいたします。

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