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解説

正解は室町幕府の第3代将軍、「足利義満あしかがよしみつ」でした。

▲足利義満の肖像画

ヒント1:日本で初めて本格的な酒税を導入

  • お酒は普遍的に飲まれるため、安定した消費がある

  • 過度な飲酒は風紀に悪影響を与えることから高税率が容認されやすい

といった理由から、酒税は世界各地で主要な税のひとつとなってきました。日本でも鎌倉時代には酒麹売業者から臨時徴税をした例があるようですが、恒常的な酒税を課したのは足利義満が最初とされています。この時の税は「壺別二百文」と決められており、醸造に用いる壺の数が税額の基準であったようです。

時代が下って江戸幕府の1697年には、酒価格の5割もの「酒運上」という酒税が課されたこともあります。しかし、江戸時代までの酒税は営業許可を受けるための税であり、消費者が酒税を負担する現在の形になったのは明治時代のことです。

ヒント2:室町という地に邸宅を設けた

足利義満は京都の室町に大邸宅を築きました。庭園の池だけでも南北約45m、東西60m以上の広さであったようです。四季折々の花が植えられたことから、この邸宅は「花の御所」とも呼ばれました。

義満の死後も歴代将軍の邸宅として使われ、義満の孫で銀閣を建てたことで知られる8代将軍・足利義政も庭園に手を加えた跡があるそうです。しかし、応仁の乱の最中の1476年に焼け落ちてしまいました。

▲絵画に残る「花の御所」

ところで、義満がこの邸宅を築く前、「室町幕府」が何と呼ばれていたか疑問に思いませんか? 実はそもそも、義満が邸宅を築いた後も、室町時代に「室町幕府」という言葉は一般的ではなかったといわれています。「幕府」とはもともと将軍その人やその居館を指す言葉で、転じて武家政権の機構そのものを指すことはあったものの、「室町幕府」の用例は当時の史料上には見られないようです。

ヒント3:金閣を建てた

京都の鹿苑寺にある金閣は、もともと義満が建てた別荘でした。1階は寝殿造、2階は武家造、3階は禅宗様の様式で建てられ、外壁や内部には金箔が貼られた豪華な建造物です。義満が生きていた時代は多彩な文化が花開きましたが、金閣が建てられた北山という地にちなみ、この時代の文化は北山文化と呼ばれます。

▲戦後に起きた炎上事件も有名。名作文学の題材に

金閣は北山文化を代表する建築として知られますが、義満はほかにもこの時代の文化に大きな影響を与えました。代表的な功績は能楽師の観阿弥世阿弥ぜあみを保護し、能の発展に貢献したことです。他にも禅宗を保護したことで、五山文学という、僧侶が担い手の文学も盛んになりました。義満自身も和歌や猿楽の催しに興じ、中国の名画を収集する文化人の一面があったようです。


権勢を誇ったイメージの強い足利義満ですが、実は4歳にして敵に攻められて現在の兵庫県に逃げ込むなど若い頃は苦労したようです。後年の栄華も苦労を知ってこそなのか、などと考えさせられます。

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この記事を書いた人

藤島

東京大学理学部4年生で、生物学を専攻しています。好きなことは歴史、生き物。趣味は読書などです。新しい分野を知る第一歩になれるような記事を書けるように頑張ります。

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