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解答&解説
正解は大隈重信でした。大隈重信は明治から大正時代にかけて活躍した政治家です。
ヒント1:園芸マニアで、メロンなどを育てていた
大隈重信は自身の家を早稲田(東京都新宿区)に移した時に庭園を造り、温室や菜園で園芸をたしなんでいました。彼は「花を愛する人に悪人はいない」と日頃から語っており、庭園でバラやヤシ、メロンなど、さまざまな植物を栽培していたようです。
また、大隈重信が手掛けた庭園は現在、「大隈庭園」として早稲田大学の敷地内に残されています。
ヒント2:襲撃を受けて右脚を失ったため、その後は義足で生活していた
黒田清隆内閣で外務大臣として条約改正の交渉を行っていた1889年、大隈の政策に反対した暴漢に爆弾を投げつけられて大けがを負い、右脚を切断しなければならなくなりました。
そのため、大隈重信はその後の人生を義足で生活することになりました。ちなみにこの義足は現在、佐賀県の大隈重信記念館などに保存されています。
大隈重信記念館に保存されている大隈重信の義足(via Wikimedia Commons Pekachu CC BY-SA 4.0)
ヒント3:早稲田大学の前身である東京専門学校を創設した
大隈重信は早稲田大学の前身・東京専門学校を創設した人物でもあります。
大隈重信が大学を作ろうとした背景に、現在の慶應義塾大学を創設した福沢諭吉の存在があります。福沢諭吉の大学で優秀な人材が育成されていることを知った大隈重信が、国民が平等に教育を受けられるよう大学を創設したといわれています。
現在はライバル関係として知られる早稲田大学と慶應義塾大学。意外にも創設者同士は仲良しだったのですね。
ぜひ次回の「今日の一問・社会編」も楽しみにしてください!
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