なぜ「ピテカントロプス」になってしまうのか
人類ピテカントロプス化計画、ここに始動。なんとかして、『さよなら人類』の世界を実現してみたい。
なによりもまず、状況を整理するべきであろう。いつ、どんな条件下で「ピテカントロプスになる日」が来るのかを明確にしておきたい。
もっとも注目するべきは、サビの歌詞だ。「人類が木星についた」ことが「ピテカントロプスになる未来が近づいた」ことを示唆している、という論理関係がここには存在する。これ、だいぶ不思議だ。
人類が再び月を目指している2024年において、木星に到達するというのは明らかな偉業だと言えよう。木星は、月や火星よりも遥か遠くにある。
当然、人類は誰一人到達していない。昨年打ち上げられた無人の木星氷衛星探査機「JUICE」は、8年の長旅を経てようやく木星系へと辿り着くとされている。当然、人類が到達するのは遠い未来の話だろうし、達成したら人類史上のビッグイベントには違いない。偉業である。
そんなポジティブなニュースが、「ピテカントロプスになる」という「あんまり嬉しくなさそうなこと」につながるのだから、これは不思議である。いいことが、悪いことを示唆している。どうしてこういう論理関係になるのだろう。
木星を目指したいわけではなかったのでは
シンプルに考えるなら、「木星への到達」がネガティブか、「ピテカントロプスになる」がポジティブかの二択だ。
そして、歌詞後半で「さるにはなりたくない」と歌っているのだから、後者は考え難い。となると、可能性として残るのは前者のみだ。「木星への到達」はネガティブなイベントなのである。
今日人類がはじめて 木星についたよ
ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ
さるにはなりたくない さるにはなりたくない
こわれた磁石を 砂浜でひろっているだけさたま『さよなら人類』(作詞:柳原幼一郎)
木星への到達が良くないことであるならば、その理由はなんだろう。『さよなら人類』というタイトルから考えるに、やはりディストピアな出来事が起こっていると考えるべきだろう。
すなわち、人類は地球から逃れ、木星を目指した、ということだ。地球はなんらかの理由で今よりも住みづらい環境になり、地球外へと活路を求めたのだ。木星は悲しいかなガス惑星なので着陸する場所がなさそうであるが、それでもなんとか逃げてくるだけの惨事が地球にはあったのだろう。
そんな状況で、いよいよ本題に戻る。「ピテカントロプスになる」ためにはどうすればいいかだ。
この時点で、まだ人類は「ピテカントロプスになって」はいない。ピテカントロプスに近づいているだけだ。そして、その理由の一端は、この時点の地球が迎えている状況にありそうである。
人類ピテカントロプス化のカギはここにある。人類がたどるであろう悲しい運命を予想することで、ピテカントロプス化へのきっかけを探っていきたい。
ヒトから「ピテカントロプス」になるために
ピテカントロプス、すなわち原人は、現生人類といくつかの点で違った特徴を備えている。
たとえば、寒さから体を守るためか、原人は現生人類よりは毛深い。その必要性があるとしたら地球寒冷化、これはだいぶ悲しい運命であろう。地球から逃げたくなるのもわかる、冬はホームに降りないで待つもんね。
しかし、毛で寒さを防いでいたのは、他の手段がなかった太古の話である。火を上手に扱う現生人類が寒さを毛で解決するとは思えない。ミュゼに行ってせっせと脱毛に励んでいるのも、暖かさを知恵で得た結果なのだ。こうした面でのピテカントロプス化は考え難いだろう。
目に見えづらいところで言えば、「骨」も大事な進化ポイントである。ピテカントロプスは現生人類に比べて丈夫な頭骨を持ち、「頭の骨が厚い」といわれているのだ。
となると、である。おそらく人類は、なんらかの理由で牛乳をたくさん飲まなければいけなくなったのだろう。最近も牛乳が余って大変というニュースが話題を呼んでいた。きっと牛乳をたくさん飲まなければ罰せられる法律が制定され、給食の時間よろしく我慢して牛乳をがぶ飲みする未来が訪れるのだ。歌詞にも「牛をわすれた 牛小屋」とあるが、これは小屋に収まらないほどに乳牛が溢れた、ということかもしれない。
そもそも明治期以降の日本人は、栄養状態の改善により急激にその身長を伸ばした。割と短期間でかつ現実的に、ピテカンボーンは手に入るのである。いいことじゃん、と思うかもしれないが、乳糖不耐症気味の私からするとだいぶディストピアである。逃げたくなる気持ちも何となく分かる。
問題は、惑星レベルのエクソダスを起こすほどの問題なのか、ということだ。流石の私も、我慢して飲む。お腹がゆるくなろうと、トイレもない木星に行くよりはマシだ。うまいこと乳製品として消費してほしいし、乳牛の活用法とかからどうにかしてほしい。てかまず法整備どうなってんだ。牛小屋は牛を忘れず、政府は民の声を忘れずにいてほしいものである。投票に行こう。
いや、もっと何かあるはず
もっといいディストピアがあるはずだ。もっと現実的で、人類にとって「進化の必要がある」ディストピアだ。今までのものは生ぬるい。もっとこう、不幸せで、困ってそうで……という未来を予想していきたい。
おそらくそんな世界線では、衣食住に満足していることは起こり得ないだろう。特に「食」は新鮮さが命であり、既存のものを用いることが難しい。地球脱出の主な理由になりそうなポイントである。
となると、だ。食に困った結果として我々に変化が起こったら、それはピテカントロプス化への大きな一歩になるだろう。
原人たちは、現生人類に比べて「顎が発達していた」と言われている。当時は硬い食べ物が多く、今よりも噛む力が必要だったのである。つまりは、今後また食べ物に困り、硬い食べ物ばかりになったら、ピテカントロプス化を起こすことができるのである!!
昨今よく話題になるように、人類の食料確保は未来に渡る大きな課題である。人類は限られた資源を使い尽くし、これまでに食べていなかったものにもチャレンジする必要が出てくるだろう。
昆虫食などは、我々に安定したタンパク質を供給してくれる以上に、顎の強化に寄与してくれる。私も市販されている昆虫は一通り食べたが、ゲンゴロウの硬さは他の何にも形容し難いものがあった。
リンガーハットは日持ちのよさそうな皿うどんだけを出すようになり、銚子電鉄はぬれ煎餅から堅焼きせんべいへとジョブチェンジするだろう。コンビニのパンコーナーは北九州名物くろがね堅パンが大部分を占めるはずだ。
アゴが強くないと生き残れない時代、アゴトレ系YouTuberがshortsを埋め尽くし、ananはアゴモテ特集を組むだろう。『ドカベン』の人気キャラ1位は当然、岩鬼正美である。
そして、そんな硬い食べ物すらも不足していくと、人々は食べ物を奪い合うようになるだろう。あまりにも悲しい戦いが巻き起こり、その結果としてヒトはさらにピテカントロプスへと足を深く踏み入れていく。
そう、
眼窩上隆起とは、原人や、ゴリラの仲間に見られる「目の上の出っ張り部分」である。眉毛がある辺りだ。我々現生人類にはもうなくなってしまっているが、原人にはこの特徴が見られた。
その成因には諸説があり確実なものは存在しないが、一節によると「相手を威嚇する」目的があったのではないかという主張もあるのだ。
殺気立った日常、「相手を威嚇する」場面はどうしても増えてくる。争い合う(元)人類の、悲しき形質としてそれが表れる、なんてことも起こるかもしれない。
喧嘩は拳ではなくヘッドバッドがより有効になるだろうし、メガネをかけづらくなるだろうからICL(眼内コンタクトレンズ)の手術が流行するはずだ。ニット帽は似合わなくなるし、逆にグラサンを頭にかける人はよりずり落ちづらくなるだろうから、ストリートファッションは廃れてアーバンなスタイルに復活の兆しだ。プロデューサー風のファッションが再評価されるだろう。
そして彼らはすべからく、立派な顎が映えるように下からの自撮りをアップするのだ。もはやXとすら呼ばれなくなっているであろうTwitterに。
……すべて、まだそのためのリソースがあれば、の話だが。
我々人類の行く先は
ピテカントロプスには、やっぱりなりたくない。なれたとしても、ピテカントロプス足り得るための世界が、どうにも住みづらそうなのである。
眼窩上隆起と顎が暗示する我々の未来は、先を顧みない開発と、飽くなき戦いの中で人類自らが地球にさよならを告げるシナリオである。チャラチャラと音を鳴らすサーベルは、自らの喉元に突きつけられるのだ。
眉カットのときやアイブロウペンシルを使うとき、張り出した額の存在を感じたのであれば、ピテカントロプスに思いを馳せてみるのも良い。原人のような毛量にならないよう、気をつけながら。
「伊沢拓司の低倍速プレイリスト」は伊沢に余程のことがない限り毎週木曜日に公開します。Twitterのハッシュタグ「#伊沢拓司の低倍速プレイリスト」で感想をお寄せください。次回もお楽しみに。
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