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こんにちは、ソフロレリアです。

QuizKnockインタビューシリーズ、今回もCEO・伊沢拓司へのインタビューをお届けします。

長年続けてきたアマチュアクイズの魅力について語ってもらった前回から一転、今回は、クイズに挑戦する人が感じうるクイズの「怖さ」、それからその怖さを取り払うために伊沢さんが取り組んでいることを中心に話を伺いました。

「怖さを感じうる」とは言ったものの、この記事を読み終えた頃には、皆さんきっとこんなにも「楽しい」クイズをやってみたくなっていることでしょう。

ぜひ最後までお楽しみください。

【インタビュー前編はこちら】

聞き手:高橋太郎(ライターネーム:ソフロレリア 以下、高橋)

アマチュアクイズに出会って丸13年。クイズを通して作問者の生活を覗くのが好き。

目次

クイズをやるのは「怖い」こと?

クイズが持つ「暴力性」とは

我々はクイズが楽しいなと思って長く続けていますよね。

一方で伊沢さんが『ユリイカ』(※)に寄稿していたコラムの中で、「中学や高校に講演に行ってクイズ大会をやったときに、クイズを怖がる生徒さんが少なくない数いる」というお話を目にしました。これはどういった背景があるんでしょう。

※『ユリイカ 2020年7月号 特集=クイズの世界』(2020年7月、青土社)74‐84頁

実はあの原稿、けっこういろんなご指摘を頂いていて今度どこかに書き直し版を出そうと思っているんですが、大筋は変わらないかなという感覚です。

そういう学校に出向いてクイズ大会をやるとき、〇×クイズをやって、勝ち抜いた人で早押ししましょうみたいなことをやってました。この〇×も遊びみたいな感じで、そこでランク付けしようなんて内容ではないものです。それで勝った人を舞台に上げると、少なくない数の人が、問題が始まってるのにボタンに手をかけたりしないんですね。僕たちクイズプレーヤーからしたら、ボタンを押すならすぐ押せるように準備しとくじゃないですか。そういう感覚じゃないんですよね。

もちろん全員が全員じゃないですけど、腫れ物に触るような、という表現になるんでしょうか、そんな「恐れ」を感じました。「なんでだろ」って最初は思ったんですけど、やっぱクイズってすごく怖いことしてるなとは思うんですよね。

「怖いこと」ですか?

自分の中身を吐き出す場面になるわけじゃないですか。「知ってる」「知らない」で二分されてしまうし。さっき(※前回のインタビュー)言った殴り合いの原理で言うと勝った負けたが明確だし、強い弱いも1問単位で見ると明確になってしまう。ホントはそこでは測れないのに

外部から判断を下されうる要素が必然的に生まれてしまう感じですか。

例えば体育でサッカーをやりますというと、立ってれば上手いのか下手なのかわかんない。メッシはずっと歩いてるんですよ、めちゃ上手いけど

たぶんメッシのいない世界から来た人がバルサの試合を5分くらい観たら「なんか歩いてるだけのヒゲがおるぞ」とか「歩いてるヒゲ下手やろ」と思うはずなんです。野球も球が飛んでこないポジションの人が毎プレー6、7人出るわけで、上手い下手が見えづらいんですよね。でもクイズはそれが通用しない

おそらくその背景には、クイズの出題範囲があまりにも広すぎて、しかも学校教育とかとのリンクが強いがゆえに、「できなくても仕方ない」みたいな感覚がスポーツより感じづらいという要素があるのかなと思ってます。

むかし田村正資(※)が使ってた言葉を持ってくるなら「人生の通信簿」的というか。ホントはそんなこたぁないんだけれども。

※伊沢の先輩。『ユリイカ』への寄稿内容について伊沢らと語り合っていた。

クイズの場で突っ立ってるだけだと、これまでの人生経験があるのに飛んできた球を拾えてないぞって思われちゃうかもしれないわけですね。

そうですね、スポーツのように「練習してない」って言い訳もできないので。それからスポーツ番組はスポーツやってる人を観るものだけど、クイズ番組はクイズやってる人を観るものではないんですよね。クイズ番組の視聴者はテレビの前でクイズやってるんですよ。構造上、参加できちゃう。

たしかに。この構造は学校のクイズ大会でも同じことが言えそうですね。

全校集会なら全生徒同時対戦なわけです。やりたくないやつも強制でログインさせられるフォートナイトですよ。

クイズ番組は基本的にクイズの経験がない人が出るものなので、経験がなくてもクイズはある程度できたりできなかったりするという前提が置かれちゃう。まあそりゃ間違ってないんですけど。「できなかぁねえよなぁ」みたいな感覚が共有されちゃってるから、できないことを人に見せることへの抵抗感も強くなるのかなと。

これはクイズへの参加のハードルの低さでもあるからいいんだけど、「低すぎて高まる」的な側面もあるよなぁと気づきました。僕だってよくSNSで「なんでこんな問題も知らないんだ」とか言われますからね。

誰もがなんとなくこなせそうなハードルの低さがあるからこそ、上手くできなかったときのリスクが高まると考えちゃうわけだ。

それを舞台上でやらされるわけですよ。いきなり「クイズは誰にでもできる」と言われたって、この状況ではなぁと思いますよね。

そういう点で僕は「クイズは暴力性を持つ」という話したんですけど、「クイズは暴力的だ」とは言っていなくて。

ふたつはどう違うのでしょう。

クイズに対して多かれ少なかれ身構えてしまうということは、人によってままある。OKな人NGな人というよりは、こういうのはやりたくないなぁみたいな。

そこへの配慮がない形でクイズに巻き込むと望まぬ人を加害してしまう、という要素はあるはずです。

ただ、クイズすなわち暴力、というわけではない。性質のひとつとして暴力性を持っているけど、それを上手に抑え込んだり、なんなら楽しんだりすることもできる。僕自身も知ってる/知らないの分断をゲームとして楽しむのは好きだし。

僕はクイズ大好きだし、クイズをやっている人間に「お前のやっているクイズは暴力的だ」と言うつもりはありません。

と言うってことは、あの寄稿でそう感じた人もいたということですね。

僕の書き方が良くなかったんですけど、そこは誤解されたと思いましたね。我々が営んでいるアマチュアクイズは今まで通りやればいいんだけど、それを万人に普及しようとする過程ではその壁は立ちふさがると思います。

クイズの勝ち負けはジャンケンみたいなもの

今の「壁」というのは、望まぬ人を加害しうる暴力性ということですよね。克服するにはどうすれはいいのでしょうか?

これは難しい。正直クイズから暴力性を取り除くことはできないと思うんですよね。勝ち負けも本質的な面白さのひとつだし。しかも人生のいろんなことを運用してやるという要素も本質だから変えられないなと。暴力性は拭い去れない性質のひとつだから、チラ見えする瞬間はあります

ただ僕は、その瞬間、1問のクイズが解けなかった、押し勝てなかったというのは、とっても些細なことであるということは言いたい。クイズって万物を問うんで、その中のたった数問による成績に一喜一憂するのはもちろん楽しいけれど、それは「傷つく」ほどのものではないよと。

テレビでやってるようなクイズってホントにごく一部だし、そういうことをテレビなり表舞台から伝えることで、「知らない」ということの重みを軽くしたい。

そもそも、工夫でもって暴力性を感じる瞬間を減らしたり、上手に隠すことはできるのかなとも思います。クイズをやるときの建て付け次第。だから、「暴力性のチラ見えを気にする必要はあるよな」というのがメッセージですね。僕がクイズの裾野を広げるためにできることはそれかな。

数問の結果は傷つくほどのものではない」は金言かもしれない。

強さも勝ち負けも相対的なものだってことがわかれば、少なくともクイズへの抵抗感は薄れるかなと。単純なゲームだから。「こんなんちっぽけなことだしな」と思える人が増えてくれると思うんですよ。QuizKnockもルールによって勝ち負けがすごく入れ替わるじゃないですか。そういうものなんだと。ちっぽけだからってひとつひとつのゲームが楽しいことには変わりないし

これがサッカーなら、本当に強いチームってたぶん8割くらい勝つと思う。クイズではそういう結果の紛れがめちゃくちゃ起こるというのはQuizKnockで示したいことのひとつでもあります。それが面白いところだし、それを知ってほしいですね。

『東大王』(※)では「結果にこだわれ」と再三言ってるんですが、それもこれも強さが非常に相対的で、勝ち負けでしか努力量を公平に測れないから、という面があるので。

そもそもこういうクイズの性質が伝わって、観られるコンテンツとして成熟すれば「もっとメンバーの中身をじっくり育てよう」的なやり方を『東大王』でも提案できるかもしれませんけどね。

※TBS系列で放送されているクイズ番組。伊沢が出演している。

基本的にクイズで勝った負けたというのは本当に局所的なことで、その一発で何かが絶対的に決まってしまうなんてことは全くないということですね。

正直僕は昔よりアマチュアクイズに割ける時間が減ってるし、「伊沢弱くなったんじゃないか」と言われるんですけど、2020年の末にようやくクイズサークル“A(あ)”の例会で初優勝したんですよ。A(あ)といえば長らく強者が集まるサークルで、サークルナンバーワン決定戦2回優勝して1回準優勝という名門なわけですけど。そのメンバーが集まる会で2020年に初めて優勝したんですね。

10年以上参加してきたA(あ)の例会でここにきて初ですか。

ここだけで見たら僕は2020年に最強を迎えているわけです。でも僕は今が最強だとは思わない。実績ベースだと2020年はA(あ)の優勝以外にないから。それこそセンセーショナルさで言ったら中学時代のほうが印象は残せたかもだし、フルオープン(※)の実績だと2017年か18年くらいが一番良い。

めっちゃ相対的なんですよね、クイズの勝ち負けって。だから強さを比べづらい。それが伝わっていって、やる側も見る側も「まあまあまあこれはワンゲームですからね」という感覚、それこそ極論ジャンケンぐらいの感覚になっていってくれればいいのかなと思ってます。ジャンケンに一度二度負けて強い弱いというジャッジはしないけど、でも毎回真剣にやれますよね。そのバランス。

アマチュアクイズをやってる人間もそういう認識だと思うんですよね。負けたら悔しいし、長い目で見ると強い弱いどうしても出てきますけど。でも1回勝った人間を絶対視したりとか、1回の負けで「もうこの競技引退しよ」となったりはしないわけじゃないですか。

※年齢制限など無しに、誰でも参加が可能なクイズ大会。

今は確かにその感覚です。

でも自分の過去を思い出すと、初めてボタンに触ったのが中学3年生のとき、高校の文化祭でのクイズ体験会なんですけど。

あるあるですね。

めっちゃ手が震えながらも一応ボタンを光らせることはできて。答えがわかったから押したはずなんですが、いろいろな考えが頭の中を巡った末に、最初思ってたのと違う言葉を言って間違ったんですよ。そしてそれをすごく恥ずかしいことだと思っちゃったんです。

振り返ってみるとこの恥ずかしさはクイズの怖さゆえのものだったんだろうな。でも実はそんな1問の失敗で自分のすべてが決まるわけではなくて、ホントに些細なことだったんだよなと今改めて考えました。

早押しクイズって時を止めて自分に注目を集める行為なので怖いですよね。それ本当にみんなのあるあるだと思います。1問単位で見ていくと、40問を8人でやったときに1番になるやつは大体6問とか7問とか正解してるくらいで、そうなると2割も正解してないんですよ。

言ってしまえば8割は負けてると。

優勝者は8割負けてるんです。って考えるとホントに相対的なもんだなと。

ひとつひとつを深刻に考える必要は全くなくて……。

ない! 知識ジャンケンかな。動体視力がいいやつが勝ってるジャンケン。まあ僕はそのうえで動体視力が悪い、というそもそものところでめちゃくちゃ悔しいと思うタイプなんですけど。で、動体視力を鍛えようとする競技者たち、競技クイズのプレーヤーを尊敬しているし、負けたくない。ジャンケンを、動体視力鍛えて勝とうとしてるやつがいたらそりゃ尊敬しますよね。「バカだなぁ……でもなんかカッケエな!」的な? そしてそれは、普通のジャンケンを否定するものではない。だから普通にノンプレーヤーがクイズやるときはすごくカジュアルにやってほしいなと思いますね。

動体視力を極めようとする人たちの戦いはとても高潔だし、僕もそれを楽しいと思っているけど、全員がそこまでやる必要はないな、という棲み分け感です。

次ページ:伊沢拓司の今後の野望は……?

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この記事を書いた人

ソフロレリア

高橋太郎の名でも活動中。博士(農学)。植物の研究をしています。ポケットモンスターと乃木坂46とウイスキーが好きです。

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