伊沢拓司がクイズの虜になった理由
クイズの「殴り合いが好き」
伊沢さんは14年間もクイズのメインストリームで活動していますが、これは1つの趣味にかける時間としてはかなり長いものですよね。伊沢さんがそこまで魅了されるクイズの面白さとは何でしょう?
僕は初期からずっと変わっていないですね、この点に関しては。
言い方はアレなんですけど、殴り合いが好きなんですよね。クイズって自分と相手との勝ち負けを無限に繰り返すわけです。一瞬の判断や気の迷いとかで、勝ち負けがバシバシついていくと。というのを僕は気持ちよく感じるんですが、それをこうも短期に味わえるものってクイズくらいなんじゃないかなと思ってるんです。いやストリートファイトしろよと言われたらそうなんですが、違法だし。
例えばサッカーは90分一生懸命走って点が入るか入らないかみたいな勝負をしていて、局面局面で良い悪いはあっても1か0かの評価じゃないんですよね。クイズはそこがすごく明確で、バシーンと勝負が決まる。1と0がたくさん積み上がっていく感じが好きなんです。もちろん細かな局面は1と0の間にあるんだけど。それから、鍛錬のしかたが直線的じゃないというのが僕は好きなんです。
鍛錬が直線的じゃないというのは?
サッカーはサッカーのトレーニングをすることが一番効率良いトレーニングになるはずなんですけど、クイズはクイズのトレーニングと意識しなくてもトレーニングになっていることがある。生きていく上で知ったこと・見聞きしたことが成果につながるんです。少なくとも他のゲームより、そういうトレーニング過程の可塑性、何でもアリ要素が多い。
芸能人の方がクイズやってるのを見ると、「ロケで行きました」とかですごく早いポイントで押していたりしますよね。
まさにそういう、全然クイズのことを意識してなくてもクイズが強くなって、それが単純なゼロイチのゲームの中に凝縮される。鍛え方は十人十色、判定は正解かそうでないか、というコントラストが好きです。
戦いに用いるベースの能力というか、ドラクエで言うところのMP的なものが、人生全体を凝縮したものになっている。人生をベースにして、シンプルな戦いをする。そういう意味では誰でも舞台には立てるし、そこそこ試合が成立しうるのもいいですね。
誰でもか。たしかに人生は誰にでもありますね。
感覚としてはストリートファイトですよね。「技は何でもアリ、倒せば勝ち」。そこが僕にとってのクイズというゲームの魅力。恥ずかしい例えだし、ストリートファイトなんてやったこともない。『ホーリーランド』読んでた程度なんだけれど、でも自分の感覚とシンクロする例えはこれになっちゃいます。あと、言い添えるなら、これ以外にも魅力はたくさんあるし、例えばクイズ経験者と未経験者がペア組んで出る大会の立ち上げに関わったりとか、殴り合いとは遠いところにある魅力をサポートする活動は積極的にやってます。
僕は最初クイズというゲームの魅力で入って、大学に入った頃に、その背景にあるクイズの営みの魅力に気付きました。高校時代までは、クイズをやるマシーンになりたいなと思っていたので、クイズという営みの魅力には後になって気付きましたね。
ゲームから営みですか。クイズという営みの魅力とは?
クイズという小さな系を通して、学習・知性という大きな系を覗き見ることができるという点です。クイズ=知識、クイズ=知性ではないですけど、「クイズをやっている」という過程が、知識を得ることや知恵へのアクセスに何となくオーバーラップする部分はあるなと。
オーバーラップする部分を通して大きな系を覗く。
例えばスポーツをすることって明確に健康というわけではないんですよ。競技前に炭水化物を大量摂取したりするでしょ。めちゃくちゃ不健康じゃないですか。個別に切り取っていくと不健康なことをいっぱいやってるんですけど、スポーツマンは概ね健康ですし。スポーツと健康は結び付けられる。クイズと知識、クイズと学習の関係ってこれに近いと思っています。
クイズって局所的に見ると不健康なことしてるんですよね。クイズの問題集を読み込む、出そうなところだけやる、EU議長国を半年ごとに確認するみたいな、知の営みとして優先度の低そうなことを局所的にはしてるわけです。
クイズ批判の的になりそうな話ですね。
でも大局で見ると知識を増やしていくことへのモチベーションがあって、知識が知識を呼んで……。しかも早押しクイズは知識を幅広に運用するものです。色々なことを総合的に勘案し答えを一つに絞るのってすごく知の過程に似てますよね。
早押しクイズのためだけの勉強は、別に早押しクイズにしか活きないわけじゃない。外の世界とつながっているわけで、そこで得た知識は外界と結びついていくものだから、知を広げるきっかけや、頭を使うきっかけになるだろう、と。
ミクロで見ると超不健康なことをやってるんだけど、マクロで見たときに、知ること・学ぶこととオーバーラップしてるよというのはクイズという営みの魅力だなと思いますね。
クイズ人生のターニングポイント
そういった魅力を感じているなかで、伊沢さんが今までやってきたクイズで一番思い出に残っているものはなんでしょうか。
「第18回高校生オープン」で優勝して、世界が開けました。中学3年生、2009年の話ですね。「高校生オープン」というのは高校生以下のナンバーワンを決める毎年夏恒例の大会で、ほかの高校生以下の大会と違ってトロフィーがある。僕の顔の1.5倍くらいのサイズのトロフィーが。歴代王者もスーパースターばかりです。クイズ作家の矢野了平さんは第4回で優勝してますし、大学生以下対象のabcという大きな大会で優勝した隅田好史さん、大美賀祐貴さんも高校生オープンの覇者です。
隅田さん、大美賀さんといえば僕たちがクイズを始めたころの高校生トッププレーヤーですね。
彼らが2009年に高校を卒業して、高校生オープンの主催側に回りました。「じゃあ次誰が勝つ?」と。信長以降の誰がこの戦国を制するのかみたいな時代で僕が優勝できて。「よっしゃあここからは俺らの番だぞ」というのを見せられたわけです。僕は当時から自分は強いという認識があったので、それを早い段階で結果として示せたというのが大きくて思い出に残っています。
しかもこの大会を契機に社会人サークルに呼んでもらえるようになったんです。最初はグランドスラムというサークルに。その1か月後にA(あ)の例会にゲスト参加して、「あーあの伊沢くんね」みたいになって、玉Qにも呼ばれて。そのうちAと玉Qは今でもお世話になっているので、やっぱり結果は大事だな、ということになりますね。だから高校生オープンは本当に大きかったです。
結果が出たことによって人脈も広がったんですね。当時の中学生からしたら社会人に交ざってやる機会ってかなり珍しかったですよね。
関東では本当に僕くらいかな? あとは早稲田の岡崎とか。高校年代で言うとさっきも出た大美賀・隅田はずっと社会人に混ざってやってましたが。大美賀さんは中2から社会人とやってたんですよね。そりゃ強くなるわ。
人生の経験がかなり活きてくる競技だから、大人はやっぱり強いし、大人と一緒にやるっていうのもいろいろな世代のことを知れる面がありますよね。
間違いない。中2くらいから「社会人とやってナンボだな」みたいな意識はあって、オープン大会に出ていくようになりました。社会人とやることによって自分が強くなるし、高校年代の大会での勝利は、社会人とのトレーニングをやっていたら結果としてついてくるだろうなみたいなことも考えていて。
まあ結果的にはこれがそんなに正しくなくて、普段の部活とかおろそかにしてたら演習量不足のツケが高2くらいで回ってきたんですけどね。後輩に負けてたのはそこの差だったので、調子乗ってました。
自分のモチベーションの面でも、環境の面でもターニングポイントになったわけだ。
そうですね。ジュニアで優勝したからトップに行くみたいな。不遜ですけど、でもそういう感覚だった。もちろん高校年代でいつも勝てるわけではないけど、だからこそより強い人とやってブッちぎりたかった、というシンプルすぎる考え方でしたね。
アマチュアクイズは「クイズ中心主義」
伊沢さんはアマチュアクイズをトップレベルでガンガンやってきて、しかも近年はテレビのクイズ番組にも出演している方なのでお聞きしたいのですが。
アマチュアクイズとプロがやるテレビのクイズの違いはどんな点ですか?
大きく2つあると思うんです。1つは物量ですね。アマチュアクイズの場に1日行けば、500問600問と浴びることができます。テレビクイズに比べてはるかにジャンルも広くて、問題数も多いので、活躍の場も多く与えられる。
テレビはエンタメ作品を作ることが最優先なので、「不満だな。もうちょっと欲しいな」という人は出てくる。もうこれはエンタメ作品だから仕方ないというか、目的からして別のものだから、物量という評価軸でテレビクイズを語ること自体に問題がありますけどね。
問題数が少ないぶん、1問のウェイトがテレビはかなりデカい。たったひとつのことを知ってる/知らないというのが、意味を持ちすぎてしまうところがあると思います。そうなると、1問でファインプレーを見せよう、というとがった出題も増える。
「地球押し」なんてまさにそういうことですよね。
そう。アマチュアクイズは単純に幅広なので1問1問にフォーカスするみたいなことは起こりづらいですね。これが物量が解決してくれるアマチュアクイズの魅力です。とはいえ、どちらがいい悪いではないですけどね。
この間「東大王」のイベントやってたら、世界遺産の問題が出るとわかった瞬間、お客さんが「おおー!」って(笑)。問題が愛される、というのもいいことかもしれません。
あと1つは、メタ的な研究に陥りづらい。というのがあって。
というと?
とがった出題、面白い形式って研究しやすい要素がめちゃくちゃあるんですよね。
さらにはメタ的なというか、テレビのエンターテインメントという文脈を利用して「テレビにこのジャンルは出ない」とか「これは出題形式として映えない」とか。読み上げクイズって今テレビでほとんど出てないんで、「映像になるとしたらこうだ」というふうに考えることもできる。目標が視聴者を楽しませることですからね。クイズやることが第一目標じゃないから、視聴者を楽しませるという第一目標に従って内容が決まるわけです。だから、その第一目標から逆算してクイズを推測できちゃう。
テレビの構成上の制約によって、問題がどの向きにとがっていくか予測を立てられるんですね。
アマチュアクイズはその制約が少ないんですよ。そもそもクイズで遊ぶことが第一の目標で集まってクイズをやってるんで、クイズを中心に据えたクイズができるために自由度が高いわけです。僕はクイズ好きとして普通にアマチュアクイズのほうが好きです。単純にクイズが中心にあるから。これは優れているとかではなくて、好みの問題ですが。テレビクイズは攻略対象であって、そこで勝てていることに誇りはあるけれど、一個人の好みとしてはまた別ですね。
いやでも、最近の大学生とかは、テレビの1問を研究するようにアマチュアクイズ的な問題を1問1問見ていく、というのを大量の問題でやってるからすごいなぁと思います。彼らがなにかのきっかけでテレビに定着したら、それはそれはすごいんでしょうね。
アマチュアクイズは純粋にクイズを楽しめる場であると。
本当にそうです。テレビクイズって1問1問の間が長いんですよね。1問やった後に必ず1トークあるので、クイズの脳トークの脳と切り替えなきゃいけない。クイズプレーヤーがテレビに出ていくとそれが難しくて苦労しがちで「あーごめん今クイズのこと考えてたわ」となるんです。トークに割く余裕なんてない。その点アマチュアクイズやってるときはクイズのことだけ考えてればいいので。クイズに集中できるのはアマチュアクイズの単純な魅力ですね。
なるほど。他に挙げられる相違点としては、アマチュアクイズだとテレビクイズ的なビジュアル問題が少ないことなんかがありますかね。
読み上げがベースになってますね。大会によってはビジュアルを使うところも増えてきてはいますけど、「ビジュアルを使った早押しクイズ」をするところは非常に少ない。
理由のひとつは技術的な問題で、単純に作るのが難しい。少なくとも仲間内でやる分には、1問にかかるコストの割に、楽しめる時間は少なくなっちゃうわけです。もちろん権利上の問題もありますし。それから1問が長くて問題数が少ないと多くの人を楽しませられない。このあたりは主催の考え方ですけど、やはりまだテレビ的な出題はハードルが高いですね。そこはテレビの明確な強みになる要素でもあります。
あと細かいですけど、クイズ大会の会場のつくりで難しい点もあります。ビジュアルクイズって全員が同じものを見てないといけないんですが、観客とプレーヤーが同じ方向を向くって会場のレイアウト上難しくて。読み上げ式の場合は、多くの人が問い読みしてる人の口元を見たがりますし、そのほうが音も聞こえやすいし。テレビの収録だと、解答者の手元にもモニターが用意できてるから、そうした問題がカンタンに解決できちゃうんですよね。
いろいろな点で技術的な問題が大きい。
裏を返せば、20年後に早押しビジュアルクイズがアマチュアクイズで主流になっていると言われればそれはなんとなく納得はできる。でも読み上げクイズの物量による満足度へのメリットは半端ないので、こんな良いものがあるのにわざわざビジュアルクイズやるかっていうのも思いますね。
たしかに。たくさんのクイズを浴びたいという需要があって、現状の供給もそれを満たしているわけですもんね。
自分が「テイク」したいからまず「ギブ」するという、情熱のこもったアマチュアクイズの世界。
鍛え方も技も何でもアリの世界で、とんでもない数の勝ち負けを味わえることが、伊沢さんが昔から感じていたクイズの魅力でした。
しかし、その勝ち負けが付いてしまう性質を苦手に感じる人も多いようで……? 次回は、今回の「クイズの魅力」から一転、「クイズの怖さ」にフォーカスして話してもらっています。乞うご期待!
【後編につづく】
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