ぬりかべには「〇〇」がなかった!?
――ぬりかべは最初からコンニャクみたいなやつじゃなかったんですか?
田部井さん 違うんですよ。もともとぬりかべは福岡の遠賀郡という地域に伝わる民間信仰で、「夜歩いているとなぜか前に進めなくなる」というだけなんですよ。ただの「現象」だったわけです。
――では、ぬりかべが「あの姿」になったのってもしかして……
田部井さん そう、水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』がきっかけです! この民間信仰を知った水木しげるは、「見えない大きな妖怪が道を塞いでいる」のをイメージして、現在の「ぬりかべの姿」を描き出したんです。
――ぬりかべがあのように「見える」ようになったのは鬼太郎以後なんですね。
田部井さん まさにその通りでして、鬼太郎が有名になってから「霊感のある人がぬりかべを見た」という噂話が急に出てくるんですよ。
――ただの現象だったはずが、実体化しちゃってますね!?
田部井さん そうなんです。鬼太郎の影響で「ぬりかべ」という怪異そのものが大きく変化したんです。
――つまり、このような変化が幽霊にも起これば、ショートヘア幽霊が天下を取ることができるかもしれない、と?
田部井さん ショートヘアの幽霊で、貞子レベルの「スーパースター」が誕生したらあり得ない話ではないと思います。
――よかったです。ショートヘア派の僕にとって、これは大きな希望になりますよ!
幽霊話は今と昔でそこまで違うの?
――今も昔も長髪の幽霊が主流なのはわかるのですが、怪談話自体は今と昔で変わっているのですか?
田部井さん 全然違うと思います。そもそも、江戸時代の怪談と現代の怪談では意味も語り手も全く異なります。たとえば、江戸時代の怪談には仏教説話の側面があります。
仏教説話:『日本霊異記』や『今昔物語集』などに収録されている、仏教の教えなどを伝えるために作られた物語。
――先ほど出てきた剃髪の習慣も、仏教になぞらえたものでしたね。
田部井さん そうですね。江戸時代の人々にとって、仏教は生活に深く関わっていました。なので死後の人間が出てくる怪談にも、仏教的な意味が付け加えられていたんです。
――「悪霊になりたくなければ人に優しくしなさい」みたいな教訓があるんですか?
田部井さん まさにその通りです! 人を憎まない、葬式はちゃんとする……そういった教訓を幽霊話を通して伝えていたんです。なので、怪談の語り手はお坊さんなどの限られた人々が担っていました。
――でも、現代を生きる我々にはそこまで強い仏教観はありませんよね。
田部井さん はい、時代とともに人々の考え方も多様化し、色々な人が「発信する側」に立つことができるようになりました。つまり、「何でもない一般人」でも「怪談を語る」ことができるようになったのです。
――たしかに、近年の怪談といえばどこにでもいるような人が体験した話を紹介する形ですよね。
田部井さん 怪談師さんにお話を伺うこともあるのですが、「素人が語る怪談の方が怖い」という傾向は実際あるらしいですよ。体験者から話を募るとき、いかにも怖い話を用意してきた方よりも「そういえば、怖いかはわからないんですが、不思議な経験はありまして……」のように、自信なさげな方が語る話の方が怖いという「あるある」は聞きます。
――そう考えると、教訓を伝える目的で話されていた頃の怪談とは全く異なりますね。
田部井さん そして、そうやって語り手が変化してきた中でもなお残る「長髪の幽霊」というイメージがいかに強固かわかりますね。
――長髪幽霊が定着するより前にも、幽霊という概念は存在したのですか?
田部井さん 「幽霊」という言葉自体は、奈良時代の文書にも見られます。白装束に三角巾、足がなくて「うらめしや~」と言って出てくるような幽霊のイメージが定まったのは江戸時代に入ってからで、それ以前は、鬼や大蛇などの怪物、生前そのままの姿など、色々な形で表現されていました。
――なるほど、長髪の幽霊のイメージが固まったのは、日本の歴史で見ると意外と最近なんですね。
――あと、ここまで質問に答えていただいてひとつ気になったのですが……
田部井さん 何でしょうか?
――田部井さんは古代から令和に至るまで、様々な幽霊話に精通していらっしゃいますよね。ご自身の研究分野とはいえ、それほどの量のお話を頭の中で正しく整理・分類できるものなんですか?
田部井さん さすがに全部を記憶するのは無理ですから、私の場合は頭の中ではなく「これ」に整理しているんです。
――え、それは何ですか……!?