あけましておめでとうございます。小林です。
新年最初の記事は、「影のひらがな」とでも言うべき存在・変体仮名についてです。いきなりややマニアックな題材ですが、日本人なら知っていてもいい、はず?
赤門で有名な東京大学本郷キャンパスから徒歩5分のところに、「かねやす」という由緒正しきお店があります。私は入ったことがないのですが、調べてみると小間物屋(つまり雑貨屋)のようです。
「かねやす」の看板。
ところでこのお店の看板、どうにも違和感がありませんか? 「ね」は右側の形が普段と違いますし、「す」に至ってはもはや「そ」にしか見えませんよね。
こちらも本郷キャンパス近くのとあるお店の看板。不思議な文字がたくさんありますが……。
このほかにも、うなぎ屋、天ぷら屋、寿司屋など……、歴史ある日本料理のお店の看板で似たような文字を見かけたことがある方は多いと思います。では、この暗号のような文字の正体はいったい何なのでしょうか?
私たちが普段慣れ親しんでいるひらがなの中に、突然割り込んでくる謎の文字。それが「変体仮名」です。
……えっ、言葉の響きがいかがわしい? まあそう言わずに。変体仮名たちの歴史を知れば、彼らの悲しき運命(さだめ)をたどれば、きっとあなたも涙をホロリと落とさずにはいられないでしょう。
ことの始まりは10世紀初頭。この頃平安時代の中期だった日本の貴族社会では、それまで文章に用いていた漢字を、一部を省略することで簡単に書き記すようになりました。これがひらがなの起源です。つまり、ひらがなが発明される以前は、文章を書くために漢字しか使わなかったんですね(たとえば「(植物の)アシビの花」は「安之婢乃波奈(あしびのはな)」と表記されていました)。
簡単に言うと、漢字を書くのが面倒臭かったのです。
ここで忘れてはいけないのが、ひらがなの発明以前、1つの音を表記するために用いられていた漢字が必ずしも1種類ではなかったということです。たとえば「ka」という音を表記するために、「加」「可」「賀」といった漢字が同時に使われていました。詳しい説明は省きますが、おおよそ区別の必要はなく、どの漢字を使ってもよかったそうです。
発音と文字が1対1で対応していなかった状況で、漢字を省略するブームが発生。さて、どうなったでしょうか?
100種類を超えるひらがなが生まれました。
100種類と聞くと、とんでもない数のように思えるかもしれません。ですが当時の人々はそれらを難なく使いこなしていました。なにせ、現代の小学1年生が習う漢字ですら80文字ありますからね。
これらのひらがなは時の流れの中で、書きやすさなどの点から一部形を変えたり、使われなくなったりしたものもありますが、多くの文字は長い間等しい扱いを受けていました。この状況は、幕末の混乱を乗り越えて明治時代まで続いていました。
そんな和気あいあいとしたひらがなの世界に、突如として激震が走ります。1900年(明治33年)、小学校令施行規則の改正が行われ、「学校教育で用いるひらがなは1つの音につき1文字、全部で48文字に限る」という内容のお触れが全国に出されたのです。
これにより、ひらがなはその半数以上が私たちの日常生活から姿を消し、古文書の中にだけ登場する化石となってしまいました。「ka」という発音に対応する文字には「加」を省略した「か」が選ばれ、「可」「賀」を省略した文字はもはや滅多にお目にかかることができません。
こうして化石となった「選ばれざる文字」は、まるで傷跡に塩を塗り込むかのように、「変体仮名」というやや不本意な名前まで授けられ、現在に至るのです。
さて、ここからは実際に「変体仮名」を読んでみましょう。先に述べたように、すべてのひらがなは漢字が省略されて生まれたものなので、元となった漢字が何なのかを推測すると、答えが分かるかもしれません。